パソコン絵画徒然草
== 12月に徒然なるまま考えたこと ==
12月27日(日) 「支えられつつ、年の終わり」 |
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今年も残りあと僅かとなった。本年の休日画廊の活動は、この原稿をもって終わりにしようと思う。毎年こうやって一年の活動を締めくくり、また新たな年になって活動を再開する。そんな繰り返しで9回目の年末を迎えることになる。 振り返れば、今年も年初より、いつもの淡々としたペースで作品制作を始めて、目立った変化もないうちに1年が終わるだろうと思っていたが、予期せぬPaint Shop Proの不具合から、途中で活動を断念せざるを得ないかもしれないという危機に遭遇した。そういう意味では、休日画廊の歴史において忘れ得ぬ事件に見舞われた年と言える。 あの事件が起こるまで、私は一人で活動しているつもりになっていた。 最初パソコンで絵を描き始めた頃は、投稿サイトへの作品投稿からスタートしたため、そこで知り合いも増えたし、その後同じようにパソコンで絵を描く仲間とも出会った。あくまで絵の制作がメインだったが、そうした方々との交流も重要な活動の一部だった。けれど月日の経つうちに、制作活動から一人抜け二人抜けし、やがて付き合いもすたれ、いつの間にやら一人で淡々と作品制作を続ける日々となった。その頃から私は、自分の力だけを頼りにマイペースの活動をしているつもりになっていた。 けれど、今回のPaint Shop Proの不具合による一連の騒動の中で、様々な方から真摯な励ましの声を掛けて頂いて、とてもありがたく感謝の念を覚えただけでなく、自分の認識は間違いだったとも気付いた。 絵というのは制作だけで終わるわけではなく、それを展示した以上、見て下さる方々に支えられて成立している芸術である。見て下さる方は必ずしも声を掛けてはくれないが、サイトを訪問することによって私を支持してくれている。そうした声なき声に日頃支えられて休日画廊は成り立っている。あの一連の事件の中で、そうしたことを改めてしみじみと実感出来たのが、今年最大の収穫だったと思う。 あのようなアクシデントが、来年以降起きないことを願うが、パソコンで描く以上は、プログラムの互換性や、ハードウェアとの相性で、また新たなトラブルが生じないとも限らない。そんなときに「もうやってられない」と自暴自棄になってサイト活動を止めるのではなく、ずっと見続けて下さっている閲覧者の方々の存在というものを今一度思い起こさねばならないと肝に銘じている。 休日画廊を支えて下さっている全ての閲覧者の方に感謝して、今年も活動を終えることにしたい。皆様のご多幸と、来る年の安らかならんことを切に祈念して、とりあえず筆を置こう。 皆様、どうか良い年をお迎え下さい。 |
12月23日(水) 「クリスマスの日に」 |
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明日はクリスマス・イブである。小さな子供のいる家庭では、既にクリスマスの飾付けも整い、楽しいイブを過ごそうと色々計画しておられるのかもしれない。 私が子供の頃のクリスマスというと、プレゼントとしておもちゃを買ってもらえるのとケーキが食べられるのが楽しみで、クリスマスの飾付けやキリストにちなんだ行事は全くといっていいほどなかった。我が家だけでなく、当時はどこの家庭でも同じようなものだったと思う。大人もクリスマスというものに慣れていなかったのだ。 その頃はどこのおもちゃ屋もクリスマスとお年玉でおもちゃがたくさん売れたはずだ。このときとばかり子供たちは、欲しかったが高くて手の出なかったおもちゃを手に入れようと、色々画策していたのだと思う。おもちゃ屋の方も、書き入れ時ということで、この季節忙しかったことだろう。 最近では、そんな楽しい夢を売るおもちゃ屋というものが、街角からすっかり姿を消してしまった。大型店に蹴散らされたわけでもなく、ただ単に消えてしまった。同じことはデパートの売り場でも言えて、昔ならおもちゃ売り場というのは子供連れで大いに賑わっていたように思うが、今ではすっかり小さな存在になってしまい、中にはおもちゃ売り場そのものが消えてしまった店舗もあるようだ。 昔あったおもちゃというのは、いったいどこに行ってしまったのだろうか。例えば、プラモデルやリモコンで動くロボット、電車のおもちゃといったものだ。家電量販店やインターネトショッピングで購入する類のものになってしまったのだろうか。あるいは、携帯ゲーム機に席巻されて、そもそもおもちゃそのものが衰退しつつあるのだろうか。 子供時代に、サンタクロースが雪の国におもちゃ工場を持っていて、クリスマスに子供たちのところに持っていくおもちゃをせっせと作っているといった内容の絵本を見たことがあった。その話自体夢があって、何とも楽しい気分にさせられたものだ。 今ではサンタが新しいゲームソフトを作っているというのでは、どこかジョークのネタのようで夢がない気がする。町工場のようなところで、せっせと作っている手作り感のあるおもちゃの方が、サンタクロースにはぴったり来る。 まぁそれもしょせんは、古い世代の感傷なのだろうか。私なりのサンタクロース像は、街中のおもちゃ屋とともにどこかに消えていったのかもしれない。今の子供たちから見れば幼稚で他愛ないクリスマスだろうが、とても楽しい日々だった。きっとこの先も、いつまでも忘れることはないだろう。 |
12月17日(木) 「路面電車」 |
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この秋、出張で幾つかの地方都市に行った。いつもスケジュールぎっしりで、合間にちょっと観光なんてことは出来ないのだが、東京を離れて飛行機や電車で遠くに出掛けるのは、それなりに解放感もある。 東京に住んでいる身にとっては、地方都市はいずれも小ぶりな街並みで、田舎ほどの風情はないし、東京ほど目を惹く近代的な景観もない。ただ、少し昔の都会を思わせるノスタルジックな光景に出会うことはある。その一つが路面電車である。 東京や大阪の公共交通機関は地下鉄が動脈となり、バスやタクシーがそれを補う格好になっている。他の県庁所在都市では、地下鉄のあるところもあるが、たいていはバスが主役である。そんな中で、広島や熊本には路面電車が走っている。 何年か前に熊本に出張に行った際、朝JRの駅まで行くのに時間があったので、路面電車に乗った。地元の人たちが足代わりに使っている乗り物だから、車内に流れる空気は如何にもローカルな感じである。座っている人同士が交わしている会話、壁に掲げられている広告には、どこか生活の匂いがある。ノンビリ座って駅まで乗っていただけで、つかの間仕事のことを忘れて、楽しい旅をしている気分になった。 東京にも路面電車はかろうじて残っている。早稲田から三ノ輪までを結ぶ都電荒川線がそれで、路線図には、面影橋や鬼子母神前、庚申塚、飛鳥山、荒川遊園地前など、下町の風情を感じさせる味わいのある駅名が並ぶ。私も何度か乗ったことがあるが、昔ながらの街並みが残る裏道を通っていて、沿線にも車内にも、気取らない東京の素顔が感じられる。次々に生まれる最新スポットも東京の顔だが、こうした庶民の顔も東京にあることを改めて教えてくれる。 そう言えば、私が大学時代を過ごした京都にも、当時は路面電車が走っていた。今ではすっかり様相が変わってしまった京都駅の前に路面電車乗り場があって、時間さえかければ大学の前まで行けた。のんびりした乗り物で、バスの方がむしろ早かったので、もっぱらバスを使っていたが、ゴトンゴトンと音を立てながら走る姿は、京都の街並みによく合っていた。 同じ生活の足であるバスに比べて路面電車により味わいを感じるのは、それが自動車ではなく電車だということもあるのかもしれない。男というのは、子供時代からどこかしら電車という乗り物に憧れを感じるものなのである。男の子なら誰しも、電車のおもちゃの一つや二つは持っていたことだろう。 今の電車の主流である、カッコいい流線型のデザインの車体とは違って、四角い身体をガタゴトゆすってどこか不器用に走る路面電車には、昭和の面影が残る。それが子供時代の電車のおもちゃを思い出させて郷愁を誘うのかもしれない。次々に車に追い越されながらも懸命に走る姿を見ていると、思わずガンバレと応援したくなるのである。 |
12月13日(日) 「出藍の誉れ」 |
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少々古いが「出藍の誉れ」という言葉がある。語源は、中国の戦国時代に書かれた思想書「荀子」にあり、「青は藍より出でて藍より青し」という句から来ている。「藍(あい)」は植物の名であり、その実から青い染料が取れる。「藍染め」はこれで染めたものだし、ブルー・ジーンズのインジコ・ブルーも同じである。「出藍の誉れ」は、藍の黒褐色の実から、きれいな青い染料が取れることにたとえて、弟子が師よりもすぐれていることを表している。 師弟関係など今や一部の世界にしか存在しないから、「出藍の誉れ」と言ってもリアリティーがない。会社勤めも終身雇用が崩れていて、上司はいても生涯の師匠だったりはしない。「誰を師と仰ぐか」なんてサラリーマンに訊いても、ピンと来ない人の方が多いだろう。座右の銘も師も持たずに、自分の目的に沿って自分の物差しで働く人が大半なのではないか。 「尊敬できる人」と尋ねられて、暫く考え込まないと答が出ない人も多かろう。偉人の伝記を読んで、自分の生き方の指針にするなんて、もはや古臭いのかもしれない。二宮尊徳も、何のために銅像になって校庭の隅に建っているのか、自問自答している可能性だってある。いや、二宮尊徳の銅像なんて、今の小学校に本当に建てられているのだろうか。何となく怪しい。 実は、絵の世界では依然師弟関係が残っているようだから、「出藍の誉れ」はありそうに思うのだが、さて、どうだろうか。例えば、日本画家の東山魁夷の師は結城素明だが、画家としての成功度や国民の人気度では、東山魁夷は結城素明を凌駕している。だからといって「出藍の誉れ」かといえば、どうもそんなふうに見る人は少ない気がする。 絵の世界では、師弟関係にあっても目指す世界は異なるのが通常である。先生の教えの通りに描いて腕を磨いたのは、江戸時代の絵画の世界までであろう。狩野派などは、先生の代筆が出来るくらいに同じ描き方を仕込まれたらしい。これは一人の画家が一作品を制作するのではなく、何人もが共同して城や屋敷の障壁画や襖絵を仕上げなければならなかったという当時の事情がそうさせたのかもしれない。 現代絵画における先生の役割というのは、基礎的な部分だけではなかろうか。その人の画家としての人生を決定付けるような大きな主題は、自分で考えながら探していくしかない。先生は、ヒントはくれるだろうが、答は教えてくれない。いや、先生だって学生達の生涯のモチーフなんて指導のしようもない。現代は個性重視の時代であり、各人の価値観は多様化しているのである。具象画の先生の下から抽象画の巨匠が誕生しても、そう不思議はないだろう。 私は絵画制作に関して、今まで師を持たなかった。誰にも教えを請わずに、一人で自分の世界を見つけ、それに合わせて技術を磨いてきた。多くの人が街中の絵画教室に通い、先生の指導を受けながら腕を磨く中で、こんな独りよがりの勉強法でいいのだろうかと悩むこともあったが、今では師を持つ積極的意味はないと悟った。これからも、師を持つことはないだろう。 敢えて言えば、私はいつも、過去の自分を越えることを願っている。昔描いた作品から、一歩でも二歩でも前に出ることを願っている。私にとって「出藍の誉れ」とは、自分を常に越え続けることである。 |
12月 9日(水) 「師走」 |
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東京都内ではまだ美しく色付いた木々を見ることができるが、さすがに12月の声を聞くと紅葉は終了だろう。いよいよ寂しい冬の到来ということで、これからは休日に散歩に出ても、公園の人影はめっきり少なくなる。しかし、12月は冬の入り口とはいえ、何かと慌しく過ぎるので、冬の寂しさを憂うることはあまりないのが実情だ。 冬の中にあって、12月は色々と行事の多い月だ。クリスマスがまず思い浮かぶが、あれは西洋の行事であって、純日本風の行事が他にも数々ある。師走といえば、一家を挙げての大掃除に年賀状書き、仕事の面では年末までの追い込みと締めを行う必要がある。他にも伝統的な芸事の世界には「○○納め」の類の行事が多々あろう。一方、正月の準備として、おせち料理作りや買い物、各種飾付けの準備など、やることはたくさんある。このように、一年を締めくくり、新しい年をまっさらな気持ちで迎えるための数々の行事を師走に慌しくこなすのが、昔からの日本の慣わしだった。 ところが、いつの間にやらこうした師走の伝統行事は、徐々に簡素化・省略されるようになっている。 大掃除は取り立ててせず、年賀状は携帯やパソコンからのメールで代用、正月の飾り付けもシンプルになり、おせち料理は一流店のものを注文する。他の事に忙しい現代人が、何とか時間を産み出すために色々編み出した知恵の数々ということになる。 確かに、大掃除は本来、春や秋にやった方がいい。気候もよく、掃除していても気持ちいいはずだ。年賀状は、虚礼廃止が言われるようになってから、ちょっと肩身の狭い存在だったし、今や郵便以外に、より直接的にご無沙汰している人に近況を知らせる手段はある。年始の挨拶も昔ほどにはしなくなったから、飾付けやおせち料理を簡素化しても支障はなかろう。 そう言えば、大晦日にみんなでレコード大賞や紅白歌合戦を見るという風潮はすたれた。誰がレコード大賞を取ったのかを気にする人も少なくなった。他に楽しいことはたくさんあるし、各自が思い思いに好きなことをして、ゆく年の最後を楽しめばいいんじゃないか。いつからかそんなふうに思う人が主流になり、儀式のようにみんなで同じことをして年の瀬を過ごす風習はなくなった。 個性重視の時代には、そうした過ごし方のほうが合っているし、だいいち楽しかろう。ただ、ノスタルジーといわれればそれまでだが、少しずつ何かが失われていく気もする。 12月31日と1月1日は昨日と今日の関係に過ぎないが、その間には実に大きな精神的区切りがあると我々のご先祖様は考えて、新しい年を迎えるためにエネルギーを費やし特別の準備をしてきた。何でも昔を懐かしむのもどうかとは思うが、一年を締めくくりまっさらの気持ちで新しい年を迎えようとする気持ちは、この先も残って欲しいなと思う。 |
12月 1日(火) 「ヘタはヘタなりに」 |
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この「パソコン絵画徒然草」に写真を掲載するようになってから、どれくらい経つのだろうか。このサイトに引っ越してきたのが昨年の6月だったから、1年半くらいになる計算だ。 私は、絵に関してはそれなりに経験があるが、写真の方はさっぱりである。今まで一眼レフカメラは所有したことがなく、オートフォーカスでないと扱えない。そんなド素人がサイトに写真を掲載するのは何ともおこがましいのだが、戸外の散策のおりに私の目が見たものを、文章ではなくそのまま写真でお見せするという位置付けで、今日までやってきた。 けれど「継続は力なり」ではないが、色々撮り続けているうちに、ヘタながらも自分としてはうまく撮れたなと思えるようなものがポツポツと混じるようになった。といっても、上に掲げた写真がそうだと言っているわけではないが・・・。 この写真付きの徒然草を始めるまでは、写真はスケッチ代わりと割り切っていて、あとで絵を描くのに参考になるものにフォーカスして撮っていた。だから、作品なんて呼べるシロモノではなかったし、他の人が知らずに見たら「これはいったい何だ?」と首をかしげるような写真もある。 ところが、サイトに掲載するとなると、画面の中がひとつの世界としてまとまっている必要があるから、一応構図などにも気を使いながら被写体を追いかける。それまでとは違ったアングルから撮ってみたり、以前なら撮影しないような被写体を追いかけたり、自分なりに工夫を凝らしながら撮っているつもりだ。 そうした中でたまに、「これはなかなかいい写真じゃないの」と悦に入るようなものが混じるようになった。しょせんは素人の自己満足と言われればそれまでなのだが、私なりに以前のスケッチ代わりの写真術から一歩進化したような気がするのである。 では、どんな写真がうまく撮れた写真なのか。それは一口で答えるのは難しい。 絵画制作なら、心の中のイメージ通りにモチーフを画面上に表せたら会心の出来ということになろう。そのために、どうモチーフを捉えて画面上に表現するかがポイントで、構図にせよ色にせよ、描く側で色々調整することになる。時として大胆に省略したり書き加えたり、はたまた色を大幅に変更したり、光の具合を加減したり。それこそ、自由自在に工夫を加えることになる。 けれど写真は、現実に目の前にあるものを撮るしかない。被写体の状況をこちらで変えるのは難しく、ましてや構図の省略や、ないものを加えることは不可能である。この辺りに木を一本加えたいなぁと思っても出来ないし、森の位置をずらすのも不可能である。 では、同じ場所、同じモチーフなら、誰が撮っても一緒かと言われれば、そういうわけではない。あるがままを撮らざるを得ないとしても、工夫の余地のあることが分かってきた。アングルを変えることにより構図の変更は多少出来るし、ある瞬間を捉えることにより、違った表情の被写体を画面に表すことが出来る。 そんな工夫をする中で、対象となる自然の持つ表情がうまく捉えられることがあるし、その場の雰囲気が画面の中に表現できることもある。更に言えば、静けさやのどかさ、空気感など視覚的なものを超えた何かが、写真の中に表われることすらある。「うまく撮れたな」と悦に入るのは、そんなときである。 残念ながら、今のところはそれも偶然そうなったということが多く、自分の腕前でコントロールすることは出来ないのだが、写真を趣味にして被写体を追求していくことの面白さは、こんなことを極めていくことではないかと思えるようになった。ただ、そういう領域に達するには、写真に関する技術的な知識やカメラの操作方法を学ぶ必要があるだろうし、少なくとも道具立てとして、私が使っているようなオートフォーカスのコンパクトカメラではダメなのだろう。 ただ、私なりに気に入った写真を掲載して撮影にまつわる話を披露するなんてことを、この徒然草で月に1-2回やってもいいかなと思い始めている。そんな頻度で会心の作が生まれるのかについては、何とも心もとない部分もあるのだが、来年以降のサイト運営の新機軸として考えてみようかなとも思う。もっとも、来年のことを言うと鬼が笑うというから、それはまた来年になってから改めて考えることにするが。 それまでに、もう少し写真の腕前をあげたいと思う今日この頃である。 |
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