パソコン絵画徒然草

== 10月に徒然なるまま考えたこと ==






10月28日(水) 「赤とんぼ」



 この前、休日の午後に外出したおり、よく近道がてら通る公園を抜けたのだが、そこの池にかかる橋の上で暫し立ち止まった。いつもは気にもせず通り過ぎるのだが、たまたま子供たちが水の中をジャブジャブと歩いていたので、何をしているのかと覗き込んだのだ。

 網を持った子供が何やら追いかけている。小魚かザリガニか、おおかたそんなところだろう。以前公園の管理人に注意されていたが、子供というのはその程度のことでは懲りないものだ。私も子供の頃に田んぼの用水路でさんざんザリガニやカエルを捕ったから、気持ちは分かる。さてそろそろ行くかと思ったところに、私が腕を乗せていた欄干に赤トンボが止まった。もう目の前の距離である。

 暫しトンボとにらみ合いになり、しげしげとその体を見た。既に成虫になってから月日が経っているのだろう、羽は端の方がささくれ立っていて、唐辛子のような赤い色をした尾も、心なしかしわだらけだった。

 どういうわけか、私がにらんでいるのにトンボは逃げず、秋の日を浴びて羽をキラキラ光らせながら、じっと欄干に止まっている。それを見ているうちに、私はふと童謡「赤とんぼ」を思い出した。

 「夕焼け、小焼けの赤とんぼ」で始まるこの童謡を、知らないという日本人は今でも稀ではないか。だが、歌詞は三木露風が作ったもので、内容は随分と古い。三木露風は明治22年生まれである。子供時代を兵庫県の龍野市で過ごし、その頃の思い出を元に「赤とんぼ」を書いたと言われている。つまり、歌われているのは明治時代の農村風景である。その詩に6年後曲をつけたのは山田耕筰。こちらも同世代の人だ。

 歌詞にあるように畑に桑の木が植えられているというのは、養蚕の盛んだった明治時代のありふれた農村風景である。今では養蚕そのものが下火となり、本格的に蚕を飼育している農家は珍しい。歌詞に出て来る桑の実となると、見たことのある人は稀だし、ましてや食べた経験となると、めったにあるまい。私は、かろうじて桑の実のジャムというのをパンに付けて食べた経験があるが、実そのものは食べていない。お姉さんが15歳で結婚したというのも、現代では考えられないことだが、当時はごく当たり前のことだったに違いない。

 何もかも現代とずれている内容だが、この唄が長く日本人に愛されてきたのは何故だろうか。赤とんぼと夕焼けの風景が重なって美しいためだろうか。どうも、それだけではない気がする。

 赤とんぼに限らず、日本の童謡というのは、既に歌詞が古くて現代からはなかなか想像できないシーンが多い。この季節にピッタリの「里の秋」という童謡も、子供と母親が父親のことを思い出しながら囲炉裏端で栗の実を煮ているのだが、このシーンが何を意味しているのかは分かりにくい。歌詞を読み進むうちに古い世代の人ならピンと来るだろうが、戦争に行った父親が無事に復員してくることを案じながら待っている光景を歌ったものである。栗の実は、当時の食糧難を彷彿とさせるキーワードでもある。この歌が発表されたのは昭和20年。そう聞けば、なるほどと思うだろう。

 季節で言えば、春の歌である「おぼろ月夜」の描く風景も、現代人はほとんど見たことがなかろう。菜の花畑に夕日が沈み、おぼろ月が空にかかる。周囲の光景として歌われているのは、家々の灯りや田んぼのあぜ道を行く人、それにお寺の鐘の音にカエルの鳴き声。郷愁を誘うひなびた農村風景である。この歌が文部省唱歌に選ばれたのは大正時代。その頃の村のたたずまいが歌われている。当時は当たり前の情景でも、同じような景色を探そうとすれば、今ではかなり田舎まで行かないと出合えないはずだ。

 夏の代表曲である「夏は来ぬ」で歌われる田植えの風景は、機械化された今の農業からは想像も出来ない。早乙女が裾を濡らしながら山間の田で苗を植える光景など、今ではお祭りのイベントでもなければ見る機会はないだろう。何といっても明治時代の歌なのだから、時代感覚のずれは仕方なかろう。

 そんなふうに数え上げればきりがないが、昔ながらの童謡が学校で歌われなくなったのも、歌詞をじっくり見てみれば致し方ないと思える。けれど、そうした歌がなお人々の記憶に残っているのは、そんな古風な歌詞の中に、古き良き日本の断片が登場するからではあるまいか。機能優先でここまで来て、生活は便利になったものの、ふと気付くと失くしたものも多い。単なる郷愁に過ぎないと言われればそれまでだが、今では忘れてしまった昔の暮らしの断片が、忙しい現代の中にあってきらりと光っている。そんな遠い日本の記憶が埋もれているのが、童謡ということではなかろうか。





10月22日(木) 「花は盛りに」



 この前の週末に散歩に出掛けると、あっという間に秋が深まった観があった。ついこの前まで、夏でも秋でもないような気候の中で、長くセミの声を聞き、初秋の風の中で元気に咲く朝顔を見たばかりだったように思うが、あれは幻だったのだろうか。

 公園の中に入ると、既に歩道にはたくさんの枯葉が散り、木々の緑もすっかり色褪せ紅葉に向けて色づき始めている。ススキの穂が風になびき、茶色くなった栗のイガが根元に転がっているのを見ると、夏の面影など微塵もない。夏場から見ていた蒲の穂綿は葉が黄色くなり、さすがの朝顔も既にその姿はない。季節は完全に変わってしまったのだ。

 私は、涼しく気持ちのいい朝の空気の中を歩きながら、11月の表紙絵は何にしようかと思案した。毎月描いている表紙絵だが、当たり前のことながら前月に制作を開始する。従って題材も前の月に探すことになる。それが翌月1ヶ月間、我が「休日画廊」の先頭ページを飾る。よく考えると、季節感は約1ヵ月半ずれるわけだ。

 11月なら紅葉を題材にした方がピタリと来る。12月に入るや否や、街はクリスマスの飾り付けで満ち溢れるのに似ている。季節は多少先取りした方が目を引く。だから、11月なら月末辺りが見頃になる紅葉を題材にした方がいいし、12月ならまだ見ぬ雪景色の方が好まれるのだろう。

 だが、絵というのは難しいもので、目の前の題材を重視する姿勢を取れば取るほど、季節感はずれる。制作期間が間に挟まるからで、これは致し方ない面がある。それが嫌なら想像で描くしかない。あるいは、前年のうちに題材を用意して翌年に備えるしかあるまい。けれど、いずれも旬の感覚には欠ける。自分の実体験としてモチーフに触れたみずみずしい感覚がないからである。1年前の素材では、生の記憶が薄れ風味に乏しくなる。やむをえない時にはそうした方法を使うことがあるが、できれば避けたいやり方だ。

 アマチュアにとって絵というのは、描かれた作品だけが重要なのではない。その作品を商品として売りに出すわけではないのだから、結果の出来栄えを他人に評価してもらう必要はない。むしろ、絵を描くことを通じてモチーフと心通わせ、対象の美しさを味わうことの方が重要なのである。言い換えれば、絵という道具を使ってモチーフを楽しむ、例えば風景なら、絵を描きながらその美しさの本質をさぐり出し鑑賞する。それがまぁ、趣味で描く絵の醍醐味である。だとすれば、現にこの瞬間、目の前にあるものにヒントを得て描き出すのが王道というものだろう。

 そうはいいつつ、時々、季節を先取りしたような作品を描きたくなることもある。まだ色づく前の葉を眺めながら、紅葉の時の美しさを想像するのに似ている。この「パソコン絵画徒然草」が名を借りている、吉田兼好の本家「徒然草」の137段「花は盛りに」で兼好法師が述べている風流の真髄に通じるところがあるのではないかとも思う。

 兼好法師に従えば、満開の桜や満月を見るのもいいが、雨の日に月を思い、家の中にいながら戸外の春の様子を想像するのも風流の心につながる。ならば、色づく前の葉を見ながら、紅葉の頃を思い、想像しつつ絵に描くのも、また風流というものかもしれない。

 そうこう思いつつ、まだ表紙絵の題材を決めかねている。じかの感性を大切にするのか、兼好法師の言われる風流の道を進むのか、何とも悩ましいところである。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。
 雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。
 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころおほけれ。」
 (徒然草第137段)





10月18日(日) 「デジカメ」



 どうもメリハリのないまま季節は移ろい、夏は去り本格的な秋になった。けれど、夏の暑さが厳しくなかった分、秋の爽やかさがあまり身に沁みてありがたくない。

 「四季を通じて気候が温暖」なんて謳い文句をどこかで聞いたことがあるし、ハワイは「常夏の島」なんて言われている。日本人からすれば、年間を通じて気候が安定していればさぞかし過ごしやすかろうという憧れがあるが、この夏から秋への、更に言えば、冬から春、そして夏、秋と、気温の変化の少ないこの1年を振り返ってみると、案外、気候が一定というのも、いいことばかりではなさそうだ。

 まぁそんな愚痴はさておき、直接絵画制作には関係ないのだが、最近気になっていることがある。前回の描画ソフトの話とちょっと通じるところもあるのだが、今回はデジタルカメラについてである。

 私はスケッチ代わりに写真を撮る。都会の散歩ではスケッチブックを広げている空間的余裕はそうそうない。街中だと立っているだけで邪魔になることがあるから、いい風景や素敵なモチーフを見つけたとしても、ゆっくりと紙に手描きしているわけにはいかない。かくして瞬間的に被写体を捉えられる写真の方がいいのである。

 散歩がてら戸外に出掛けるとき、私はオートフォーカスのデジカメを持参することが多い。ウエストポーチに入れて、気に入ったシーンに出会うとさっと取り出してパチリとやる。三脚を立てたり露出や焦点を合わせたりしているだけで通行人の邪魔になる東京のことゆえ、本格的な一眼レフカメラはかえって面倒である。だいいち、かさばるし重い。ウエストポーチに忍ばせてというわけにもいくまい。

 といいつつ、私のデジカメは随分古いものなので、今どきのコンパクトデジカメに比べると格段に大きい。ただ、利点が一つある。素人向けのオートフォーカス・カメラなのだが、光学ファインダーが付いているのである。

 最近のデジカメは小型化が進むと同時に、背面の液晶が大型化され、かつ鮮明になった。我が家にも小型デジカメがあるが、手にすっぽりと収まるし、ズボンのポケットに入れて持ち歩ける。撮影も大型液晶画面を見ながら快適にできる。と絶賛したいのだが、問題はその大型液晶である。

 お持ちの方なら経験があるだろうが、このカメラ背面に付いている液晶画面は、快晴のときには無用の長物と化す。通常写真撮影は、逆光にならないよう太陽を背にする。そうなると、直射日光が液晶に当たる。液晶画面にはバックライトが付いているわけだが、当たり前のことながら太陽光の方が強力なので、液晶画面は黒く塗り潰されたようになる。被写体がよく見えず、大体の勘で撮ると、集合写真の端の人が切れてしまったりする。よくある失敗である。

 こういう失敗をすると、ファインダーというのが如何にありがたいものかが分かる。覗いた時の画面は小さく見にくいが、太陽光には決して邪魔されない。私の古いデジカメにも背面に小さめの液晶画面は付いているのだが、そちらは電池節約のために消して、もっぱらファインダーを覗きながら撮影している。

 ただ、小型化が進む最近のデジカメ製品には、このファインダーが付いていない。同じ機能のものは二つあってもしょうがないということだろう。だいいち、ファインダーを付けると小型化が出来ないし、コストもかかる。メーカー側からすればいいことなど何もない。消費者側からしても、携帯電話で写真撮影する人が増えている昨今だから、手を伸ばして液晶画面を見ながら撮るスタイルが主流なのだろう。ファインダー覗いている人なんて、確かに珍しい。

 今私が使っているデジカメはスマートメディア時代のもので、思えば随分長い間使って来た。今どきスマートメディアなんて店頭に置いてないし、手持ちのものも殆どが壊れた。もともとメディアの内臓メモリ部分が剥き出しになった構造だから、手に持っただけで壊れたりする。かくして手持ちは現在装着している一枚だけとなったが、これもそのうちダメになってしまうのだろう。また、カメラ本体にも老朽化の兆しがあって、誤動作が起こることがたびたびあり、いつもヒヤヒヤしながら使っている。

 いつか操作が出来なくなり、もう諦めるしかないとなったときに代替機を選ぼうとしても、ファインダー付きを見つけるのは、まず至難の業だろう。確実なのは一眼レフだが、あんなにかさばって重いものを、手軽に持ち出すというわけにはいくまい。それにかなり高価なものだから、おいそれとは手を出せない。

 前回話題に出した描画ソフトもそうだったが、デジタルなものは移り変わりが速い。手に馴染んだものはあっという間に過去の遺物となり、買い替え時にはすっかり様相が変わりまごついてしまう。カメラも同じことで、古いものに馴染んでいると後継機選びに頭を悩ませることだろう。新しい機能が追加され消費者にとって使い勝手のいい製品とメーカーは胸を張るのだろうが、使い勝手がいいかどうかは、結局消費者次第である。

 ここで私が幾ら愚痴を言ってもメーカーの新商品開発はやむことなく今後も続くだろう。私としてせめて出来ることは、頭を悩ます日がなるべく先になるよう、今のデジカメを大切に使うしかあるまい。





10月13日(火) 「描くリズム」



 絵を描きながらいつも思うのは、描くリズムというのが結構作品の出来栄えに影響を与えるということである。

 調子のいいときには、最初の一筆を置いたときから、リズミカルにすいすいと筆が動く。そして多くの場合、その第一所作で8割がた絵が完成する。後の細かい調整は付け足しみたいなもので、その段階になってから、作品の根本的な要素が変わることはない。万事小気味よくことが運んで作品は完成するのである。

 こういうリズムに乗った描き方が出来ている時には、おそらく最初に頭に描いた完成イメージが薄れることなく最後まで持続しているのだと思う。要するに、どこかで迷ったり乱れたりしないのである。

 ところが、何かで中途半端に制作を中断すると、後で再開しても元の調子が戻らないまま迷宮に入り込んだようになることがある。横から割り込んだ関心事によって、頭に浮かんだイメージが雲散霧消してしまうのだろう。最初の調子を取り戻そうと頑張っても、どうもその先筆がうまく進まない。こうなると、色々あがいても満足出来る完成形にはたどり着かないものだ。

 今の新しいPaint Shop Proに乗り換えて、最初の頃、操作方法が分からず難儀した時期があったが、その際、幾度も制作のリズムを乱されることがあった。新しいPaint Shop Proが嫌いだった理由の何割かは、こんなふうに調子を崩されがちだったこともあるのかもしれない。

 パソコンで絵を描く場合には、絵具と筆で描く肉筆画と違い、ソフトウェアの力に頼る部分も多い。例えば、森や木の描写の場合、緑色の陰影は様々な緑をランダムにおいて、滲ましてからぼかしたり、その透明度や効果を変えて何枚か重ねたりと、普通の絵画制作の過程ではあり得ないような作業を経て描かれている。

 この一連の操作のいずれかの部分が、ソフトの機能差や不具合で動作しなかったとすると、作業は先に進まない。と同時に、こうした各過程の操作はその性格上、手仕事でカバーすることは出来ず、どうにかして同様の効果を演出しなくてはならない。それを可能にしてくれる代替機能を探すのにあれやこれや操作しているうちに、制作のリズムはすっかり乱れるのである。

 安物なのに絵描きの手にすんなり馴染む筆は、何万円もする高級な筆よりも大切なのと同じように、安物の描画ソフトでも、操作に通じていて自在に操れるものは、実に貴重なのである。制作を中断させずに自分なりのリズムに合わせて正確に動いてくれれば、それで十分満足だし、逆に、どんなに高級で多機能の描画ソフトでも、操作の途中で分からなくなって迷うソフトなら、制作の足かせになること請け合いである。

 そんなわけでソフトとの相性は、実に切実な問題なのだが、いまだに制作のリズムが狂わされることがあるんだなぁ、新しいPaint Shop Proは。もう4ヶ月過ぎたが、なかなかなついてくれないソフトだ。やはり相性が悪いのかなぁ・・・。





10月 7日(水) 「名月や」



 先週の土曜日は仲秋の名月だった。午前中に東京にかかっていた雨雲が抜け切れず、雲間から月をうかがうことになったが、それもまた風流なのかもしれない。せめて月が見えただけでも良しとしよう。

 そうは言いつつ、さて、どれくらいの人が果たして仲秋の名月を意識して鑑賞したのだろうか。風流に月を見るにはそれなりに心の余裕が必要だが、深夜まで忙しく活動する現代人には、今や月見などどうでもいい風習なのかもしれない。

 夜道を歩いていて、「あぁ今日は十五夜か」と思い出した人はいたかもしれない。あるいはニュースか何かで仲秋の名月と知って、窓から夜空を覗いて見た人もいただろう。しかし、わざわざ月見がてら夜道をそぞろ歩きしようと出掛ける人は珍しいだろうし、ましてや、ススキを飾り団子やお酒を供えて月を楽しむ人など、かなりの趣味人と言えるのではないか。

 おそらく高度成長期までは、秋の月を楽しむ風習はまだ息づいていたように思う。月見がてらの夜の散歩もあったし、母親が子供を背負って月を見ながら寝かしつけようと戸外に出るなんてこともあった。考えてみれば、その頃は夜の楽しみといってもあまりなかった。テレビは今ほど普及していなかっただろうし、飲み屋以外に開いている店もなかったのだと思う。だいいち、コンビニもない時代だったのだから。

 時代を遡れば、それこそテレビも店もなかった平安時代には、貴族たちは盛大に月見を楽しんだ。観月の宴や、水面に揺れる月を楽しむ舟遊びなども盛んに行われたという。夜の娯楽といっても、他にはそうなかったのだろう。

 文明が発達するにつれて、人類は夜の生活を充実させた。灯りを煌々とともし、テレビ番組を遅くまでやり、店も深夜までオープンするようになった。それに伴い、そうした深夜の活動を支える仕事も増え、人々は夜遅くまで働き、飲み食いし、そしてストレス解消にいそしむようになった。今では、インターネット利用の多くは深夜の時間帯だろう。

 現代社会では、月を見るよりも楽しく刺激的なことは幾らでもあるし、それを楽しむ時間の方はあまりない。お蔭で、月見は優先順位をグッと下げ、仲秋の名月といえども、ほんの一瞬目を向けてもらえれば御の字というところだろう。

 昔、吉田拓郎の歌で「祭りのあと」というのがあって、その歌詞の中に「臥待月(ふしまちづき)の出るまでは」というフレーズがあった。いったいどういう月なのだろうと思っていたら、これが「月待信仰」という古来の風習にちなんでいることをあとで知った。昔の人たちは、十五夜後も各夜の月に名前をつけて、皆で集まり月を見ながら講を楽しんだという。「立待月(たてまちづき)」、「居待月(いまちづき)」、「寝待月(ねまちづき)」、「更待月(ふけまちづき)」などの名前が今に残っている。

 月の出るのを待って皆で親しんだ昔も、誰も見向きもしなくなった今も、月は変わりなく美しく輝いている。いつの時代でも、我々さえその気になれば、昔と同様に楽しめるのが、名月のいいところではなかろうか。平安貴族が愛でた月を、あるいは李白が眺めたのと同じ月を、我々もまた愛でることが出来る。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」(松尾芭蕉)





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