パソコン絵画徒然草

== 9月に徒然なるまま考えたこと ==






9月29日(火) 「いつものことながら」



 今回は、前回の続きのような話である。テーマは季節の変わり目。

 実は、前回彼岸を境に季節が本格的に夏から秋に変わるという話をした。そう書きながら我が身として実感した話があるので、追記しておく。

 先週の5連休に何度か戸外を散歩し、公園にも立ち寄った。そして、驚いたことに、セミの声を聞いた。一匹二匹という感じではなく、四方から鳴き声が聞こえる。ただ、真夏の頃の力強い鳴き声ではなく、どこか終わりかけの弱々しさがあったが・・・。

 この夏は涼しかったから、秋の来るのも早かろうと思っていたが、どっこい夏は夏で、まだしぶとく残っていたわけだ。セミが生き長らえたのは、涼しい夏を過ごして来たので、低い気温に体が馴染んでいたということだろうか。

 そして、彼岸が過ぎてこの前の休日、また同じ場所に出掛けたら、パタリと泣き声がやんでいた。まさに、秋が来たのである。

 もう一つ、彼岸の前辺りから、私の喉の調子がおかしくなった。

 これは以前にも書いたと思うが、私は春と秋の入り口、ちょうど季節が入れ替わる頃、扁桃腺がはれて10日から2週間ほど苦しむことになる。随分前からなので、そういう体質なのだろう。

 私は平均以上に健康体で、まず年間を通じて医者のお世話になることはない。風邪もめったに引かないし、体の調子が悪くなって欠勤することもない。けれど、この春と秋の喉の異常だけは例外で、毎年、僅かの期間ながら喉をはらし、から咳をして、鼻水も出る。

 周りの人は風邪だと思っているのだろうが、どんなに予防してもなかなか防げない。その年その年で症状の軽重はあるが、たいてい苦しむことになる。軽い時には喉の痛みと声枯れくらいで終わるが、重くなると激しく咳き込み話すら出来ない。仕事で難儀することも多々ある。

 さて、今年の症状はというと、少し重めだった。久し振りだが医者に行った。扁桃腺への細菌感染ということで、抗生物質をくれた。季節の変わり目に扁桃腺がはれることの原因はよく分からず、医者は「たまたま温度や湿度の関係で、扁桃腺が細菌感染しやすい状態になるのではないですか」と見立ててくれた。

 しかし、それも今ではほぼ直った。これが直ると、私の身体にとっても本格的な秋の到来である。秋・冬の乾燥気候向けに喉の調子が調整されて、あとは春になって湿度が上がる頃まではこれで持つ。

 やはり、秋分の日というのはよく出来た設定だと思う。喉の調子も戻ったことだし、これから冬までの間、本格的な秋を楽しむことにしよう。





9月23日(水) 「彼岸」



 この連休中に、至るところでヒガンバナが咲いているのを見かけた。この花は曼珠沙華とも呼ばれ、ちょうど秋の彼岸の頃に咲く。夏の終わり頃に、突然土中から茎が伸びて、葉もつかないまま花が咲く。普通は赤い花だが、時々白いものも見かける。

 土中からいきなり生えて咲くという意味では、冬の花である水仙も同じだ。共に球根性の植物であるが、同時に毒性植物という点でも両者は似ている。この毒性を利用して、小動物や虫が近寄らないようにと、ヒガンバナは畑の脇や墓地に植えられたようだが、その役割が災いしてか、「死人花」「地獄花」あるいは「幽霊花」など、何ともありがたくない異名を頂戴している。水仙は、虫や小動物が活動を停止している冬に咲くため、同じ毒性の花でも、変なあだ名は頂戴しなかったようだ。

 毎年ヒガンバナを見ると、あぁ秋が本格的にやって来たなという気持ちになる。「暑さ寒さも彼岸まで」というから、彼岸が本格的な秋の入り口であり、ちょうどその頃にヒガンバナが咲くから、まさに季節の変わり目を告げる花と言っていいだろう。

 ところで、その彼岸であるが、世間ではお墓参りの時期ということになっている。あいにくこの季節に帰省していることがないので、私自身はお彼岸に墓参りはしていないのだが、どうして彼岸になると墓参りなのか、ちょっと不思議に思う。

 そもそも彼岸という名前自体も妙なネーミングだ。仏教では「此岸」と「彼岸」が対になっており、こちら側の岸である此岸とは現世を、あちら側の岸である彼岸とはあの世を指す。「あの世」と命名された日、あるいは行事というのは、いったい何なんだという疑問が頭に浮かぶ。名前そのものから、何をする日かということが伝わってこない。極楽浄土を思い起こし、そこに行けるよう精進せよということか。

 春と秋の彼岸は、それぞれ春分、秋分の日と合致しており、この日に太陽は真東から上がり真西に沈む。西とは西方浄土、つまり極楽がある方向であり、そこに向かって太陽が沈むので、昔の人々はその日に特別な意味を見出そうとしたのだろう。

 子供の頃、お彼岸といえば家でぼた餅を作り、皆で食べた。そもそもは仏壇に供えるために作ったわけだが、家族で食べる方がむしろメインだった。このぼた餅のことをおはぎとも言ったが、後でこれは秋に咲く萩と掛けてある言葉だと知った。餅を供えることが重要なのではなく、秋の花を供える代わりだったのかとも思った。

 今年の夏は気温が低くしのぎやすかったので、今さら秋の到来といわれてもあまり恩恵を感じないが、絵を描く身としては、秋の画題を求めて出掛ける好機到来ということだろう。色褪せ始めた緑の中を、秋の気配を探しながら歩けば、気分も晴れようというものだ。





9月19日(土) 「公園と自然」



 今まで何度も書いたから、この徒然草を読んでいる方は先刻ご承知のことと思うが、私は休日によく散歩に出掛ける。健康管理と画題探しを兼ねて、主に午前中ウロウロすることになる。

 典型的なコースは幾つかあるのだが、たいていその途中に公園をからませている。休憩方々立ち寄り、園内を歩いて回る。花の絵を描くための題材は、その際見つけることが多い。しかし、風景画の題材を公園で見つけられるかというと、花に比べれば、圧倒的に少ない。いや、むしろ稀と言っていいだろう。例外は、ミニ日本庭園が併設されている場合に、そこに置かれた石灯籠や庭石を題材にするくらいか。

 今まで、色々な公園を見て回ったが、構成要素はある程度共通である。特に、戦後作られた庶民憩いの公園は、ワンパターンと言ってもいいかもしれない。

 ざっと挙げてみると、まずは芝生広場―ここで家族連れが弁当を広げ、小さな子供が周りで遊ぶ。そのため、かなり広い芝生広場でも、ボール遊びは禁止になっている。次に幼児向けの遊具を備えた遊び場―いつも大騒ぎである。そして、園内を巡る遊歩道―健康が気になり出した人々がジョギングやら散歩やらに使うこともある。更に花壇。そうしたものの間を仕切る木立。そんなところか。あとは当たり前の施設として、トイレと管理事務所。これが共通要素ということになる。もう少し土地に余裕があり、施設が豪華になると、池や小川、噴水なんてものが付く。これは、夏になると子供たちの格好の遊び場と化す。更に予算があれば、ミニ日本庭園。せいぜい、これくらいが限界だろうか。

 上記のような施設が、敷地内に効率よくまとめてあって、機能的に出来ている。住宅街の中のミニ公園と違って、市町村などがキチンと人を置いて管理しているのが普通だから、園内はきれいに手入れされ、清潔感がある。けれど、そうした園内を見渡しても、風景画の題材になるような景色は、まず見かけない。

 江戸時代からあるような有名な庭園となると、機能性には欠ける反面、絵になる要素は幾つか見つけることが出来る。芝生広場や遊具は勿論なく、家族がシートを広げて弁当を食べられるスペースも確保されていないのだが、景観そのものに趣がありしゃれている。さすがに、大名などが贅を尽くして専門の庭師に作らせただけのことはあるなと感心する。

 結局、庶民憩いの公園と、大名が作った庭園とでは何が違うのかということだが、昔ながらの庭園のコンセプトは、人工に作ったものなのに、自然との融和を大切にしているということではないか。人工的に作った印象をなるべく抑えて、自然に近い風情を出そうと工夫している。それに比べて今の公園は、機能面に重きが置かれ、使い勝手のいいように自然をいじくっている。

 自然といっても、その全てが絵になるわけではない。自然は美しいというのは事実だが、どの部分を切り取ってもそのまま絵の題材というわけにはいかない。自然は、不規則で複雑で、時としてまとまりがなく、雑然としている。しかし、そうした自然の中で、ふっと人目を惹く部分がある。例えば、雑木林一つとっても、木々の重なり合いや佇まいが素晴らしく、絵に描いてみたい雑木林というものがある。絵の題材というのは、そうした一部分を切り取ったもので、人工的ではないのだけれど、どこにでもありふれた自然というわけでもない。

 日本庭園が作り出そうとしている景観は、もしかしたら、そうした絵になる自然をもう少しデフォルメしたものかもしれないなと思う。それがドンドン行き過ぎて、あまりに人工的で機能的なものになると、今時の公園になってしまう。自然そのものではなく、かといって完全に人工的に作り上げたものでもない。両者の中間にある微妙な景観を、当時の庭師たちは目指していたのかもしれない。

 江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者の近松門左衛門が虚実皮膜論というものを展開している。「芸といふものは、実と虚との皮膜の間にあるものなり」という有名な演劇論である。「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあったものなり」というのが彼の主張である。風景画の対象になる自然というものも、ありのままの自然と、人間が人工的に手を加えた自然の、その皮膜の間にあるものかもしれない。





9月15日(火) 「一人山道を行く」



 今年は残暑があまりないなんて長期予報を以前に聞いたが、実際その通りになって、一気に秋が来た。もっとも、夏が暑くなかったから、残暑という言葉自体、少々違和感があるわけだが・・・。

 さて暑さが和らぐと、山登りにはおあつらえ向きの気候到来ということになる。秋は春と並んで、山登りには絶好のシーズンだ。私はというと、今のところこれといった計画はないのだが、登山が好きな人たちは、5連休を控えて色々計画されているのではなかろうか。

 ただ、山登りといえば、先月の暑い盛りに一度登ったことがある。

 場所は埼玉県北部で、毎回山登りに行っている辺りだが、そのときに登ったのは初めて行く山だった。そのうえ、同行者はなく私一人で登った。いつも一緒に行く息子はあいにくと予定があり、同行できなかった。

 その山には車で登れる展望台があるためか、登山道を登る人は少ない。また、展望台と登山道とは、一応脇道でつながってはいるものの、登山道を進めば自然に展望台に行き着くわけではない。更に言うと、山頂と展望台とは別のところにあり、普通に登山道を登って山頂まで行き、再び元の道を降りれば、車で展望台に来た人とは全く出くわすことなく全行程を終了することになる。

 そんな状況で登り始めたのだが、今までの山と違って、登山道で全く人と行き会わないのである。普通なら、山頂にたどり着くまでに、上から降りてくる人と会って挨拶することになる。あるいは、自分の前後に、同じく山頂を目指すハイカーがいて、話し声が聞こえたり姿が見えたりするものだ。それが全くない。しかも、山道に行く手を阻むようにクモの巣がたくさん張られていて、如何にも登山道が使われていない感じがする。

 思えば、たいていの人は車で来て展望台に行き、そのまま降りる。Tシャツ、短パンにサンダルみたいな軽装で来ている人が多いから、駐車場から登山道を目指す人などいないのだろう。車で簡単に上がれる山を、わざわざ麓から歩いて上がろうとする人は珍しいと思う。

 人の気配が全くしない山道を一人で黙々と歩いているうちに、ちょっと奇妙で、どこか懐かしい感覚が呼び起こされて来た。こういう感じがしたのはどこでだったかなと、つらつら記憶を手繰り寄せているうちに気付いた。昔、子供時代に、一人で山に分け入って行ったときの感覚だ。

 子供の頃、誰もいない山道を一人で歩いていると、ふと原始的な恐怖心が湧いてくることがあった。突然、熊が踊り出て来たり、マムシが現れたりしたらどうしよう。あるいは、足を滑らせて道の脇の崖に滑り落ちたら、誰か発見してくれる人がいるんだろうか。果ては、神隠しではないが、この道は、今まで住んでいたのとは異なる別世界に繋がっていて、自分は元の世界に戻れなくなるのではないかとか・・・。

 全てはバカバカしい妄想であり、家に帰ってから考えれば、他愛もない幼稚な恐怖心なのだが、大自然の中にポツリと置かれた人間というのは、時に精神的にもろいものなのである。

 古来より伝えられる怪奇現象の何割かは、おそらくこうした状態に置かれた人間が感じた恐怖心が作り出したものなのだろう。山道で自分の後をつけてくる足音がする。誰かと思って振り返ると誰もいない。気のせいかなと思って歩き出すと、また後ろの方で足音がする。こういう現象はやがて妖怪の仕業と解釈されるようになったが、多くの妖怪は、似たり寄ったりの状況から産み出されたのだろう。

 さすがに私も今や大の大人だから、迷信深い昔の人々や、恐がりの子供と違って、恐怖心なんてものは湧いてこなかったが、あの子供時代に感じた感覚は、記憶の中からぼんやりと甦ってきた。子供時代の記憶というのは、表面的に消え去ったようでいて、何かのきっかけがあれば闇の奥から呼び出されるものなのだろう。

 科学技術を高度に発達させ、森羅万象を知悉しているかの如き振舞いをする現代人も、いざ一人で自然界に放り出されたら、遠い昔のご先祖様たちが感じた素朴な畏怖や恐れを抱くものなのである。たった一人で見知らぬ山道を歩いていく気持ちは、東京のど真ん中では決して得られない。思えば、あの夏のたった一人の登山は、貴重な体験だったのかもしれない。





9月10日(木) 「冷夏に思う」



 今年の秋は、「ようやくやって来た」という感じがしない。7月、8月と振り返ってみても、うだるような猛暑もなかったし、ギラギラと輝く太陽を仰いだことも少なかった。そもそも、夏がなかったのである。

 毎年酷暑に苦しみ、汗だくになってうんざりする夏だが、その暑さがないとなると、どこかしら寂しさを感じてしまう。人間って誠に勝手な生き物だと思う。

 春の訪れが一際人々に喜びを与えるのは、厳しい冬の終わりが来たことの証しだからだ。冬が長く厳しいほど、それが終わった印として咲く桜の花は美しい。いや、美しく感じるのである。

 それと同じく、秋の到来が歓迎されるのは、酷暑が過ぎ去ったことの印だからだ。春のときと同様、夏の暑さが厳しければ厳しいだけ、秋風の涼しさに人々は感動する。しかし、その酷暑の夏がなかったとしたら、秋の訪れにしみじみ感じ入る人は少なくなろう。

 季節は暑さ、寒さを繰り返しながら移り変わる。その中間点にある春と秋に、人はホッと息をつく。夏と冬あっての春と秋であり、人は、それこそ遠い昔からそのリズムを身体に刻みながら生活してきた。だから、季節の循環が狂うと、人のリズムも狂う。夏と冬は、余計なものでは決してないのである。

 自然界においても同じことで、夏の暑さは来るべき実りの秋に向けて植物が成長し、それを餌とする動物たちが冬を越せるだけの準備をするために必要不可欠なものである。仮に、冷夏のお蔭で秋の実りが不順になれば、多くの野生動物が被害を受けることになろう。

 もちろん人間様にとっても、秋の収穫が思うように行かないと、農家が困るばかりでなく、我々消費者の台所を直撃することになる。ただ、充分な食料の蓄えを持ち、世界中と取引できる人間は、自然界の野生動物に比べれば、はるかに天候不順に強い。

 この夏の涼しさを思いつつ、秋に起こる自然界の不幸を考えると、何とも気の毒な気分になる。山野にない餌を求めて人里にまで下りて来る野生動物が増え、駆除の対象になるのだろう。動物にとっては冬を越せるか否かの瀬戸際だから、普段は侵すことない領域に侵入せざるを得なくなる。人間様には人間様なりの理屈があって、そんな歓迎されざる略奪者は許さじと抵抗することになる。

 そんな不幸な縄張り争いを避ける意味でも、夏は暑い方が良かったのだ。そのためなら、少しくらい人間様も暑いのを我慢できたはずだから・・・。





9月 2日(水) 「液晶モニター」



 今さら珍しくも何ともない話題かもしれないが、私が使っているパソコンのモニターを液晶に替えた。替えたのは先月のことで、使い始めてから2週間経ったことになる。

 それがどの程度意味のあることなのかということになるが、今まで私はパソコンのモニターとしてCRT(ブラウン管)モニターを意図的に使って来た。その最大の理由は発色にあった。

 初期の液晶モニターは映りが悪く、微妙な色の区別は出来ないものが多かった。文章や写真のように、コントラストのハッキリしたものなら問題なかろうが、絵を見るには不完全なシロモノだった。特に、淡い色合いを使うと色が消えてしまう。山の稜線などは、CRTモニターだと見えるが液晶モニターだと見えないというくらいに、両者の性能には差があった。これじゃあ絵の制作や鑑賞には役立たずである。

 もちろん、当時から発色の優れた優秀な液晶モニターはあったが、相当高価だった。プロならいざ知らず、私のようなアマチュアが趣味で絵を描くのに購入するには、かなり勇気のいる選択だった。

 かくしてコストパフォーマンスの観点からCRTモニター一筋で来ていたのだが、世のトレンドは軽くてコンパクトな液晶モニターにドンドン傾いていき、ついに大型量販店のモニター売り場からCRTモニターが姿を消すに至った。そんな折にCRTモニターが故障した私は、パソコン専門店でCRTモニターを購入し難局を切り抜けたが、今度このモニターが壊れたら、さすがに液晶に替えるしかない状況になっているのだろうなと、肝に銘じたことを覚えている。

 ただ人間というのは、自分に都合の悪い事実は、なるべく心の片隅に追いやろうとするもので、かくいう私も液晶モニターに替えるとした場合の選択肢を真剣に考えないまま、ずるずるとCRTモニターに頼り切りになっていた。

 何となく嫌な予感は昨年辺りからあって、ジワジワとCRTモニターの画面が暗くなっていった。モニターのメインテナンス機能を使って消磁をすれば元に戻ったが、頻繁に帯磁すること自体、モニターの寿命が短くなっていることの現れだったのだと思う。そんな形でだましだまし使っていたある日、パソコンをつけたら画面の左半分だけが暗くなって、中央付近に明るい部分と暗い部分の境界線がハッキリ現れるようになった。今度は消磁しても、完全には暗い部分の影が消えない。ここまで来るともうダメだろうと諦め、そこではたと困った。代替となる液晶モニターの選択を全くやっていなかったのである。

 ネットで売れ筋を調べてスペック表とにらめっこした。けれど見え方なんて、実際にモニターを前にして見比べてみないと判らない。かくして暑い中を家電量販店まで出掛けて比較をした。そこで気付いたのだが、店頭に並べてあるモニターはどれも大きい。値段はそう高くもなく、売れ筋の価格帯が並べてあるのだろうが、今まで使っていたCRTモニターのサイズである17インチなんてない。一番小さいのでも19インチから始まっている。中心帯は21−23インチ。多くはワイドタイプのモニターである。

 見え方の問題で選ぼうと思っていたのだが、今度は大きさで検討しなければならなくなった。壁に寄せて置いてある我がパソコンは、置けるモニターの大きさに制約があり、23インチ・ワイドなんてとても無理である。かくして検討のポイントは大きさになり、21インチ辺りから選ぶことになった。それでも17インチから比べると、随分大きくなったものだ。

 最近の液晶モニターはどれも優秀で、見え方の点でさしたる不満はない。普及価格帯の製品でも、微妙な色合いをキチンと表現してくれるし、Paint Shop Proで絵を描いても今までと違和感がない。こんなことなら、もう少し早くから買い替えを検討していても良かったなと思った。

 今年に入ってから、Paint Shop Proのトラブルで制作環境が一変したが、更にモニターまでCRTから液晶に替わることになるとは思いもよらなかった。パソコンで絵を描き始めてから変わることのないのは、今やタブレットだけになったしまった。そんなことを言っていると、タブレットもそのうち故障して新しいものと交代することになるのかもしれない。

 全ての家電製品には寿命があり、多くは8−10年程度で使えなくなると聞く。指折り数えてみると、ちょうど今頃が該当期となる。不吉な予感にさいなまれながら、この先おそるおそる使うことになるのだろうか。これでタブレットまで壊れたら、今年は「休日画廊」にとって実にエポックメイキングな年になる。そうした事態が来るのかどうか、判らないが、二度あることは三度あるというからなぁ・・・。





目次ページに戻る 先頭ページに戻る 本館に戻る


(C) 休日画廊/Holidays Gallery. All rights reserved.