パソコン絵画徒然草
== 8月に徒然なるまま考えたこと ==
8月25日(火) 「夢幻の如くなり」 |
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先週末、暑い中を散歩に出掛けて、ちょっと遠くの公園まで足を伸ばすと、耳をつんざくくらいにうるさくセミが鳴いていた。盛夏の如き騒がしさと見るか、これが最期と命の限りに鳴いていると見るかで、感じ方は違ってくるだろう。何といっても暦の上では8月も間もなく終わりである。ふと見ると、大木の下には幾つものセミの死骸が転がっている。やはり夏の盛りは過ぎたのだろう。 今年の夏は異常気象で、あまり夏らしくない日が続いた。ずっと梅雨のような曇り空を仰ぎながら出勤していたし、いつ雨が降るか分からないから傘が手放せなかった。その分、気温は低めで、こんなに寝苦しい夜が少ない夏も珍しい。お蔭で、海水浴場も例年の賑わいには達しなかっただろうし、子供向けの各種お楽しみ行事も、今ひとつ振わなかったのではないか。 それでも、夏休みの話題として新聞・テレビで報じられている子供向けイベントを見ると、様々な工夫が凝らされていて感心する。都会だけでなく全国津々浦々で催されていて、自分の子供の頃と比べると、まるで環境が異なるなぁと感心した。 自分の子供時代の夏休みを振り返ってみると、何もない夏休みだった。「何もない」というのは少々大袈裟かもしれないが、今の感覚から言えば「何もない」に等しい。テレビで放映されているような子供向けイベントなんて、おおよそ皆無だった. 朝の子供会のラジオ体操、学校のプール、夏祭りにお盆、みんなが参加する行事と言えば、まぁそんなところだったろうか。あとは、家族や友達で海水浴に行ったり、虫捕りに行ったり、実にワンパターンな休みだった。 退屈じゃあなかったかと自問してみるのだが、退屈だったという記憶はない。勉強なり趣味なり、何か一つのことに打ち込んでいたのかと問われれば、それもない。あの長い休み中、いったい何に時間を費やしていたのだろうかと不思議に思う。 しかし、夏休みといえば、とにかく待ち遠しかったし、楽しかった。夢のような日々だった。夢、まぁ夢かもしれないなぁ。あの楽しかった夏休みは、子供時代に見た夢だったかもしれない。今思い返してみると、そんな突拍子もない考えも浮かんでくる。 実は、あの楽しかった子供時代の夏休みの写真というのが一枚もない。ただ記憶の中の夏休みなのである。やはり、夢だったのかなぁ。 |
8月23日(日) 「夏休み(その二)−金毘羅さん」 |
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前回予告した通り、香川県の金毘羅さんのことを書こうと思う。直島と違って、こちらはまず知らない人はいない有名な神社で、歴史もどのくらいまで遡るのかよく分からないくらい古い。 昔から多くの参拝客を集める金毘羅さんだが、いざ行こうとすると、ちょっと手間がかかる。高松からJRないし琴電で約1時間かかる。JRは土讃線なので、高松から高知に抜ける場合は途中下車でお参りできるが、高松や松山に観光に来たということなら、金毘羅さんのために一日余分に見なければならないだろう。 また、かの有名な約800段の階段を登らないと本宮にたどりつけず、時間と体力がなければお参りはかなわない。そのせいか、名前は知っているが行ったことがないという人が多い。 私は今回の参拝で二度目になるが、最初は今から20年以上も前のことなので、体力的にはだいぶ衰えた。それでも、一応金毘羅さん最奥部の奥社まで行こうと意気込んで登り始めた。 天気はおあつらえ向きに曇り空で、気温は低め。登るのには絶好のコンディションだが、如何せん、20年の歳月は重かった。本宮にたどり着く頃には青息吐息。それでもあまり休憩も取らずに奥社へと進んだ。 一般的に金毘羅さんというと本宮のことであり、普通の人は約800段の階段を登ってここにお参りする。しかし、金毘羅さんには更に奥があり、最奥部に奥社という神社がある。そこまで行こうとすると、本宮から更に600段近くの階段を登らなければならない。お蔭で、金毘羅さんにお参りした人でも、奥社まで行ったことのある人は少ないと思う。 私が最初に金毘羅さんに行ったのは、ちょうど瀬戸大橋が開通して間もなくのことだった。金毘羅さんから瀬戸大橋が見えるものと期待していたのだが、地元の人に聞くと、奥社まで登らないと見えないという。そこで、あまり信仰心がないにもかかわらず、金毘羅さんから瀬戸大橋を見たかったがゆえに、奥社まで登ったのである。 けれど、当時のしんどさは既に記憶の彼方であり、奥社まで登れたということしか覚えていない。そんなわけで、まぁ何とかなるだろうと甘い考えで登り始めた。 本宮から暫くはゆるやかな階段で、これなら登り切れるだろうと期待したが、最後になって急な階段がこれでもかというくらい続く。登り切ったときには、正直体力の限界だった。麓から数えると1368段。東京タワーを階段で登ったことが何度かあるが、比べ物にならないしんどさである。 膝がいうことをきかない状態で麓まで降り、今度は芝居小屋の「金丸座」を見学する。現存する日本最古の芝居小屋で、国の重要文化財に指定されている。今でも春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として歌舞伎が公演され、有名な歌舞伎役者が舞台に立つ。勿論チケットは瞬間蒸発で、まずなかなか見に行けない人気興行と聞く。 チケットの取りにくい金丸座だが、何もやっていないときの内部公開はかなりオープンで、舞台の上も含めて自由に見学させてくれる。今でも作られた当時のまま全て人力で公演がなされ、当然ながら空調も何もない。お蔭で公演も、気候のいい春にしか出来ない。照明なんてものもなく、明り取り窓を手動で操作する仕掛けになっている。みんな江戸時代のままなのである。 今では一般名詞になっている「奈落」や「廻り舞台」、「楽屋」など、その原点を見ることが出来る。歌舞伎好きなら、一度は見てみたい小屋だろう。 金毘羅さんの麓に歌舞伎小屋がある。これは、当時の寺社参拝が、庶民にとってどういう位置付けだったのかを物語っていて興味深い。 古くから信仰を集めていた金毘羅さんへのお参りは、お伊勢参りと並んで庶民の憧れだったと伝えられている。今と違って江戸時代の庶民にはさしたる娯楽がない。旅行もなかなか出来ないし、お大尽ならともかく、派手な遊びは庶民には手が届かない。そんな中で有名寺社への参拝は、神仏の名の下に大手を振って旅行できるチャンスであり、羽目を外す絶好の機会だったのである。 だいたい古くから信仰を集める有名な寺社の周辺には、庶民向けの娯楽施設が併設されていたと聞く。金毘羅さんでも門前で様々な娯楽が催されていたといい、この金丸座も、常設の芝居小屋として参拝者目当てに建てられた。各地から参拝に来た庶民は、そこで一生に一度の歌舞伎を見て、土産話として故郷に持ち帰ったのだろう。その様子を家族や親戚縁者に聞かせ、生涯の思い出にしたのだと思う。 そういう意味で、金毘羅さんというのは、庶民の夢が一杯詰まった場所なのである。あの長い石段を、当時の人たちはどんな思いで登ったのか。電車の時間を気にしながら登る我々には想像もつかないが、きっと、その端々のことをしっかりと記憶に留めて故郷に帰って行ったに違いない。 そうした江戸時代の庶民の思いを考えれば、しんどいしんどいと石段を登り切ることばかり精を出していた我々は、罰当たりだったかもしれないなぁ。 |
8月19日(水) 「夏休み(その一)−直島訪問」 |
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先週、夏休みで帰省したついでに、足を伸ばして瀬戸内海の直島に行ってきた。 直島といっても、知っている人がどの程度いるのかよく分からない。かくいう私も、最初に聞いたときにはどんなところなのか知らなかった。 直島は香川県に属してはいるが、距離的には岡山県に近い。漁業中心の静かな町がある小さな島なのだが、ベネッセコーポレーションがここを現代アートの拠点として開発したために、一躍有名になったらしい。かくして静かな漁村は、海外からも含めて多数の観光客が押し寄せる観光の島になった。 現代アートそのものが一般人に馴染みの薄い特徴的な芸術だが、この島の現代アートはひときわ異彩を放っている。私が見たのは、本村地区にある「家プロジェクト」と、島の南にある「地中美術館」だが、どちらも、東京辺りではまずめったに見かけない趣向である。 「家プロジェクト」は、島の東側に位置する本村地区にある古い家屋を、何人かの芸術家が建物ごと作品にしてしまうという、驚愕のプロジェクトで、その作品が人々の住む集落の中に点在している。入り組んだ狭い路地が縦横に走る集落の中を、地図を片手に一作品ごと探して歩くことになるのだが、作品化されていない家々もそれぞれに趣があり、集落を歩いているだけで充分楽しめる。 現代芸術というと、私自身あまり縁がないのだが、そんなに難しく考えなくとも、芸術家の手になる家を見るだけで面白かった。また、日本画家の千住博氏制作の作品(というか家なんだけど)もあって、そんなに縁遠い芸術というわけでもない。ちなみに千住博作品の「石橋」は、古い蔵のような建物の中に「ウォーターフォール」の巨大作品がひっそりと飾られており、不思議な空間の中でそれを鑑賞するという趣向である。 もう一つの「地中美術館」は、文字通り、美術館ごと地中に埋まっている。小高い丘の中をくり貫いて美術館が建てられており、自然光を巧みに使った不思議な仕上がりになっている。美術館自体が芸術作品なのだが、そこにモネの睡蓮などが飾られている。 惜しむらくは、小さな美術館なので人数制限がかかっており、中に入っても、展示室に入るのに待たなければならなかったりすることだ。それでも、ありきたりの美術館に飽きた人には面白いのではないか。 ほぼ半日を島で費やしたが、結局、ベネッセハウスの現代アートまでは見られなかった。じっくり見ようと思ったら、やはり一日あった方がいいかもしれない。 感想らしきことを言えば、こうした現代アートの拠点作りを、一つの島丸ごとでやろうとしているところがいい。島というのは、船で渡って来る以外にはアクセスできない閉じられた空間であり、それゆえ、外界との境界線を設けやすい。船を下りたら現代アートの拠点で、日常空間とは一線を画している。面白い試みだと思うし、現代アートと静かな漁村という組み合わせも意表をついている。 まぁ興味ある方は、一度トライして頂きたい。東京で美術鑑賞するのとは一味も二味も違った体験が出来ること請け合いだ。 次回「徒然草」は、直島の後に行った金毘羅さんのことでも書こうと思う。お楽しみに。 |
8月13日(木) 「盆の入り」 |
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さて、旧盆となった。東京都内は帰省した人が抜けたぶん静かになるはずだが、逆に観光で東京に来ている人がたくさんいるので、繁華街について言えば、差し引き普段と変わりない。通勤客が少なくなり地下鉄が空いているのがお盆らしいといえばお盆らしいが・・・。 お盆は、正月と並んで誰でも知っている昔ながらの行事だが、よく考えると何やら分からない部分もある。 お盆は仏教の代表的な行事で、先祖供養が核になっているというのが一般人の認識だろう。けれど、元々宗教としての仏教には先祖供養なんてなかったはずだし、仏陀だってまともな葬式を挙げてもらっていない。オリジナルの仏教の教義になかったものがどうして現在一大行事になっているかというと、おそらく土着の先祖供養の風習が根強くて、布教のためには仏教としても取り込まざるを得なかったのだろう。現実的妥協というヤツである 江戸時代になると、キリスト教弾圧のため寺請制が導入され、誰もがいずれかの寺社の檀家になった。ご先祖様を粗末にするヤツには仏罰が下ると脅されて、益々仏教と先祖供養が強く結び付いた。そんなこと言われても、仏陀だって先祖の墓参りはしていないと思うけれど・・・。そんな経緯からか、数百年経った今でも、先祖の墓を持たない人というのは少数派だろう。 お蔭で、先祖代々の墓守役を担っているか否かに関わらず、殆どの人は何らかの形でお盆の行事に参加する。ご先祖様を無視して暮らすというのは、今でもどこか後ろ暗いところがあるから、お盆になれば、誰しも少しは先祖供養らしきことはする。気が付けば、仏教の最高位にいるはずの仏陀より、ご先祖様の方が偉い存在である。自分の家の墓があるお寺で手を合わせるときに、仏陀のことをイメージする人は少数派で、たいていの人は、ご先祖様の顔なんぞ思い浮かべながら手を合わせているんじゃなかろうか。 かくして、墓なんてものは、後になってから寺社に付けられた付属施設なのだが、今ではそれがメインの施設になっているお寺さんは多い。経済的に見れば、観光収入や不動産収入で食っていける例外的な寺を別にすれば、お墓や葬式なくしてお寺の経営は成り立たないのが現実だ。お蔭でこの季節、汗を拭き々々、僧侶は檀家回りにいそしむ。家の仏壇に僧侶がお経をあげるのは、この季節くらいのものだろう。 神も仏も信じていない私がそんなシニカルなことを長々と書き連ねると、さぞかしお盆をバカにしているのだろうと思われるのかもしれないが、実はそういうわけでもない。 時として、先祖のことを思い返すというのは、自分にとっても大切なことではないかと思っている。自分のルーツはどこにあって、自分の先祖たちがどんなふうに生きて来た結果、自分がここにいるのか。そんなことを改めて確かめるいい機会ではないかと。 でも、忙しい日常の中で、自分のこれまでのことならいざ知らず、亡くなった先祖のことまで振り返る余裕などなかなかあるものではない。だから1年のうち、ある特定の時期に先祖を思い返すイベントがあるのは良いことではないか。そんなふうに思っている。 会ったこともない仏陀のことを色々思えと言われてもその気にならないが、亡くなった祖父母のことや、子供時代に聞いた曾祖父母の話、自分の家のルーツがどこにあったのかなんてことなら、つらつらと思い出すことが出来る。墓で手を合わせたり、僧侶にお経をあげてもらうより、そんな古い記憶を手繰る方が、よほど先祖供養らしくていいんじゃないかなんて、罰当たりな私は考えている。 |
8月 8日(土) 「暫し東京を離れて」 |
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今年も夏休みを確保できたので、少しばかり東京を離れて命の洗濯をしてこようと思っている。そんなわけで、休日画廊の更新も来週半ばまで暫しお休みである。 夏休みというその言葉の響きは何とも耳に心地良いが、敢えて苦言を呈せば、子供時代の夏休みに比べて、大人のそれはあまり夢がない。せっかく休みを貰っておいて、何とも罰当たりな発言だが、事実だから仕方ない。 社会人になると夏休みといっても1週間から10日間程度の休みで、そもそも始まる前から計画があらかた決まっている。子供時代の夏休みの冒頭に、殆ど真っ白の予定表を眺めながら「さて、この休みどう過ごそうか」と考えるのが楽しみの一つだったが、大人になるとそんな悠長なことは言ってられない。「この休みにはどんな予期せぬイベントが待っているのだろう」なんてワクワク感もない。予定通りにきちんと日程が消化されることが重要で、「予期せぬ」なんて事態はたいていロクでもないことなので御免こうむりたいというのが本音だったりする。 思い返せば、夏休みに限らず、子供時代の休みというとたいてい予定はなく、皆お互いそうだからか、暫くすると午前中に友達から連絡が入る。電話なんて作法は踏まず、いきなり「遊ばないか」と訪ねて来るみたいな感じだった。 かくして連れ立って出掛けるのだが、これといったアイデアはない。仕方なく、他の友達の家を訪ねて仲間を増やすか、公園かどこかへ行って、そこで遊んでいる友達を誘う。そうこうしているうちに行き場所や遊びも決まり、皆でいざ出陣みたいなノリだった。計画がないからといって不安になったことはないし、行き当たりばったりでもどうにか楽しい一日が過ごせた。 私は今でも、これといって予定のない休日の午前中というのが好きである。「さて、今日は何をしようか」とか「どこに散歩に出掛けようか」なんて、色々な予定を考えるのが楽しい。休日の中で最も心安らぐひとときである。 大人にストレスが溜まるのは、何かにつけて計画があるからではないかと時々思う。よくアメリカ人は、リゾートに行って何もせず浜辺でノンビリくつろいでいるが、あれは計画性がないのではなく、何の予定も入れず何もしないということ自体が、大いなるストレス解消策だと知っているからである。人生を楽しむすべなら、彼らは日本人より数段上の達人だと思う。 さて、そんなことを色々考えながら、忙しい夏休みに出掛けることとしよう。それが日本人にはお似合いなのだろう。 |
8月 4日(火) 「夏なので怪談話でも」 |
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夏といえば怪談という発想は、今でも活きているらしい。その割には、「東海道四谷怪談」とか「番町皿屋敷」など、昔ながらの怪談話がテレビで流れることは少ない。今では、とにかく恐がらせることを目的としたホラー系の映画や小説の方が主流になってしまった観がある。昔の怪談では、今や刺激が足りないようだ。 お化け屋敷なんていう昔ながらの催しも、段々ハイテク化し、様々な工夫を凝らして観客を恐がらせることに腐心しているようだ。インターネット時代にふさわしく、たちまちのうちに口コミが集まり、ランキングが出来上がる。どこが一番恐いかが競われる時代なのだ。 恐怖ということを前面に出すと、幽霊なんてものは必然でなくなる。殺人鬼でもいいわけだし、宇宙人や怪物でも構わない。とにかく見る人が驚き、恐怖を覚えるものなら何でもいい。闇の中から得体の知れないものが飛び出てきて、ワッと人々を驚かせてもいいわけだ。恐怖を巻き起こすには、より直接的な未知の手段の方が効果的ということだろう。 そういう意味では、筋立てがすっかり有名になってしまっている昔ながらの怪談では、見る前からネタばれしていて、未知のものに対する驚きや恐怖感に欠ける。有名な原作がある以上、どう料理しても筋立てを大きく変えるわけにはいかないから、見る人は先が読める。これであっと驚くような趣向を盛り込めと言われれば、制作者は悶々と悩むことだろう。 確かに昔の怪談には、とっさに人を驚かすような仕掛けは少ない。幽霊が出て来る必然性がまずじっくりと描かれ、お膳立てが出来たところで怨霊と化した主人公(?)が現れる。主人公たる幽霊は、話の最初から幽霊ではなく、生身の人間として登場し、怨霊となる過程も丁寧に説明される。だから話に説得力がある。 恐怖を前面に押し出した演出では、そんなまどろっこしい前触れは不要である。幽霊やモンスターは、最初からそのまま登場すればいい。そうして、まずは観客を驚かせ、恐怖心をあおる。そいつが何ものかは、後になってから説明すればいいのである。今のホラー系小説や映画は、そういう後付説明型が主流ではなかろうか。 昔の怪談は、果たして人を怖がらせることに重きを置いていたのだろうか。怪談である以上、恐くなければ流行しない。だから、そうした演出はそれなりに凝らしてはいるのだろう。だとすれば、それはどこに現れているのだろうか。 私の勝手な推理を言えば、人間の持つ感情が凝縮されて怨霊と化すその過程が、当時の人々には恐怖だったのではあるまいか。妖怪変化のような人間以外の超自然的な存在が普通に信じられていた時代に、人間の持つ感情自体が、極度に凝縮していくと妖怪変化と同じような超常的存在に変化する。それが怨霊や幽霊ということだろう。人間が人間以外の超自然的な存在になり、自分を追い込み傷付けた人間に復讐する。 身分の差や社会の不平等が当たり前のように組み込まれていた明治以前の社会で、弱い立場の者は殺されても泣き寝入りなんてことがたくさんあったのだろう。まともな裁判制度も確立されておらず、正義が実現される機会も限られていたのだと思う。そんな中で、弱い立場にあった者が虐げられたときに、自ら怨念を溜めて霊と化し復讐を果たす。その復讐プロセスこそが、怪談の描きたかった世界なのではないか。 今の恐怖・驚愕重視型のホラーもいいが、人の心を描こうとした昔ながらの怪談にも、違った味わいがある。分かっているようでいて分からない人の心の奥底。その闇を描こうとした昔ながらの怪談には、今のホラーよりももっと深い世界を内包しているように思うのである。 |
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