パソコン絵画徒然草

== 7月に徒然なるまま考えたこと ==






7月29日(水) 「皆既日食」



 先週水曜日は、日本で46年振りに皆既日食の見られる日だった。前回日本で皆既日食が見られたのは1963年7月というから、私は3歳だったことになる。もっとも今回は、私の住む東京では部分日食ということで、奄美大島北部やトカラ列島、屋久島、種子島南部などの皆既日食帯が通る地域まで行かないと、本格的な日食には出会えない。皆既日食を見るというのは、なかなか大変なことのようだ。

 今回の皆既日食はかなり前から各種メディアで宣伝されていて、この夏の一大イベントの観があった。皆既日食帯の地域に泊まり込みで出掛ける人がたくさんいたし、洋上から船で見学するツアーもあったようだ。夏休みとも重なったので、子供たちにとっても格好の理科実習の機会となった。都内では、日食観察用の遮光レンズが飛ぶように売れ、売切れ続出となった。メーカー側もここまでの盛上がりは予想していなかったのではなかろうか。

 しかし、当日はあいにくの天候で、せっかく遠くまで出掛けた人も皆既日食を見ることは出来なかったと聞く。唯一、船上から見ようとしていた人には幸運の女神が微笑み、晴れ渡った空の下で皆既日食を堪能できたようだ。次回日本で見られる皆既日食は2035年9月になるという。26年間のお預けだ。

 俄か天文家になるつもりはないが、自然の営みの中でも天体にまつわる珍しい現象を見られるのは、本当に幸運に恵まれないと難しい。宇宙の営みは、人類の寿命とは全く桁の違うレベルで進んでいるから、生きているうちには巡り会えないようなこともあろう。

 しかも、そうした現象にたまたま行き会うことが出来たとしても、今回の皆既日食ではないが、天候に恵まれなければ見ることが出来ない。幾つかの要素がうまく重なり合ったときにこそ、世紀の天体ショーを堪能できるというわけである。

 スケールは違うが、我々絵を描く者が、自然の中で素晴らしいモチーフに出会うのにも、そうした幾つかの要素の重なり合いが必要である。何気なく見つけた題材にも、色々な巡り合せが背後にある。単にラッキーだったから行き会ったというふうに思ってしまうが、そこに至るまでの何かが欠けたら、その出会いはなかったのかもしれない。偶然の作用でたまたま見つけることの出来た画題だから、描く方もそれを心掛けて丁寧に描く。描く者とモチーフとの関係は、そうした形が理想なのだろう。

 同時に、今回の皆既日食ではないが、たまたま何かの作用によって、出会うことの出来なかった画題というのも、また自然の中に埋もれているのだろう。そんな画題に再び出会うことの出来るのは果たしていつのことか。生きているうちにあるのかどうか、それもまた星の巡りと同じで、我々には判りかねることではあるが。





7月23日(木) 「夏休み」



 毎年この季節になると、この題を掲げて何かを書きたくなる。新聞やテレビで、各地の夏休みの話題を報じ始めると、つかの間、子供の頃に戻ったような気持ちになるからだ。もう学校を卒業して何十年と経つのに、楽しかった思い出が褪せることはない。

 とりわけ、夏休みに入ってすぐの7月の下旬は良かった。まだ8月にたっぷり1ヶ月の休みがあるという余裕と、梅雨明けの青空の下、海や山に繰り出すことが出来たからだ。

 山に分け入りカブト虫やクワガタ虫を採るのは、8月上旬までがピークだった気がする。8月半ばの旧盆を過ぎると虫の数もめっきりと減り、8月下旬になると飼育箱の中の虫たちも死に始める。海水浴も同じことで、旧盆を過ぎた辺りから波が高くなり、クラゲの数も増えて、泳ぐのには不向きになった。そんなわけで、如何にも夏らしいのは、7月下旬から8月上旬までだった。

 子供時代の海水浴の夢を見ることはないが、虫捕りの夢を見ることは、今でもたまにある。どこかを歩いていて、傍らの木を見ると、カブト虫やクワガタ虫が樹液の出る場所に群がっている。「あぁ、こんなにたくさん集まっている」と観察している自分がいる。そんな夢である。どうして今さらこんな夢を見るのか分からないが、それだけ楽しい思い出だったということだろう。

 実はこの東京都内にも、クワガタ虫くらいはいる。東京は意外と緑が多く、広大な自然林も多く残っている。そうした場所では、倒木は処分されず森の中で朽ちていくから、そこにクワガタ虫が卵を産み繁殖する。カブト虫となると、腐葉土がたくさん必要だから、都内での自然繁殖はなかなか難しいのかもしれない。

 以前、港区に住んでいた頃、通勤経路の脇に自然林の公園があり、そこの森の中にはクワガタ虫が自生していた。仕事帰りに夜道を歩いていると、街灯の下をもそもそとオスのクワガタ虫がはっている。そんなに大きなものではなく、種類から言えば小クワガタと呼ばれるものだが、クワガタはクワガタだ。さすがに飼うことまではしなかったが、毎晩仕事帰りにクワガタ虫が来ているのを見るのが楽しみだった。

 最近はなかなか行かないのだが、以前よく山登りに行っていた頃は、山道でクワガタ虫を見つけることがあった。ゴルフ場に行っても、カブト虫やクワガタ虫はいる。東京だと、カブト虫やクワガタ虫はペット・ショップやデパートの売場で買うという感覚だが、ちょっと足を伸ばせば、そんな自然に行き会える。

 ただ、カブト虫やクワガタ虫は、見つけられる人と見つけられない人がいて、同じ場所にいるのにたいてい私の方が早く見つけたりする。思えば、これも子供時代の虫捕り経験の差かななんて思ってしまう。おそらく、いそうな場所だと無意識のうちに目がカブト虫やクワガタ虫を探しているのだろう。

 自然の中を漫然と歩くのではなく、何かを探しながら進むのは楽しいものだ。それがカブト虫やクワガタ虫にせよ、花や木にせよ、同じことである。そんな探究心が、絵の題材探しにも通じるのではないかとふと思う。

 私が自然の中で絵の題材を探しながら歩いている時は、子供時代にカブト虫やクワガタ虫を探しながら森の中に分け入った時と同じ目をしているのだろうなと思う。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。





7月19日(日) 「いつの日かのために」



 ゆるゆるペースで描き始めて、かれこれ2ヶ月が経つ。元の週一枚の制作ペースに戻る見込みは全くなく、10日間から2週間に一枚のスピードがすっかり定着してしまった。「無理をしない」がモットーだから、これで行くしかないのかなと思う。

 突然発生するPaint Shop Proの不具合に苦しめられるのは今も同じだが、一応、作品に取り組む意欲は失せていない。というか、すっかり習慣化しているので、絵を描くこと自体が、私の日常生活に自然に組み込まれてしまっている。休日になると健康管理も兼ねて散歩するのが習い性になったように、絵を描くことも今や生活の一部である。絵描きにとって、ある種の理想形と言えなくもない。

 全て形あるものは、いつか壊れる運命にある。肉筆で描く絵の場合だって、愛用の筆がダメになり、長く使っていた絵具が製造中止になることもある。私が水彩画を描いていた頃には、有名な水彩画紙が製造中止になり、多くのファンが買い溜めに走ったりしたこともあった。それを考えれば、パソコンの世界で愛用のソフトウェアが消えてなくなるなんて、不思議なことでも何でもない。Paint Shop Proもそういう運命だったということだろう。

 ただ、ある日突然、手に馴染んだ道具が使えなくなったときにどうするのか、絵を描く側としては、もう少し関心を持って日頃から考えていた方が良かったなと反省している。今の制作環境がそのままずっと続くかのような幻想を抱いていたことは事実である。

 いや実際には、Paint Shop Proが使えなくなるなんて事態を、あまり考えたくなかったのかもしれない。いつか大地震が来る可能性は皆認識しているのに、現実には多くの人がその日のための備えをしていないのと、どこか似ている。不幸な想像からは目を背けたくなるのが、人間のさがというものだ。

 実は、現在のPaint Shop Proが使えなくなったときのことを、少しずつ考え始めている。デジカメ写真のレタッチに重きを置いた作りをドンドン推し進めている現在のPaint Shop Proの開発路線と、絵を描くという私の用途とは、原点において相容れないものであるのは明白だ。だとすれば、この先、幸せな調和というのは長くは望めまい。その不幸な破綻の日がいつ来るのかは分からないが、その時になって、今回のように慌てずに対処できるだけの下調べはしておこうと思っている。

 まぁそれこそが、今回の予期せぬ災厄から得られた貴重な教訓だと思うのである。





7月15日(水) 「水の中の小宇宙」



 次第に暑くなってきて、水辺の恋しい季節となった。さすがに海水浴に行く気力はないが、休日の散歩の途上で池や水の流れのあるところに出くわすと、立ち止まって暫し眺める。何となく涼しげだからだが、同時に水というのは、人の心を癒す不思議な効果があるように思う。

 風景画の中でも、池や水の流れが描かれていると、妙に落ち着いた風情が漂うように感じるのは私だけだろうか。日本画に限らず西洋画の作品にも、水辺の風景を題材にした絵が多くあり、人気を博しているように思う。

 海に始まって、湖、川、池、渓流、なんでもいい。そこに水があるだけで画面に変化が生まれるし、落ち着いた雰囲気を醸し出してくれる。描く方からすれば、誠に重宝なアイテムと言える。

 水の何が人の心を癒すのか知らないが、少なくとも動植物にとって水は生きていく上で貴重な要素だから、本能的に特別な存在として認識されているのかもしれない。それに、遠い昔、全ての命の源は海の中で生まれ、そこから進化して今の形になった。人類にとって、水は遠い故郷とも言える。

 水の中の生き物というのは、我々が思っている以上に種類が豊富で、多様性に富んでいる。磯に行って潮溜りを覗けば、小魚や蟹、イソギンチャク、貝、海草と、小宇宙の如く様々な生物がひしめき合っている。池や小川にしても同じことだろう。魚やカエルくらいしか思いつかない人も多かろうが、タニシのような淡水系の貝類、トンボの幼虫のヤゴや、アメンボ、ゲンゴロウなどの水棲昆虫、探せば色々見つかる。残念ながら我々は陸上生物だから、そんな水の中の営みには無頓着であるが。

 さすがに水中生物の観察に夢中になる年齢でもないが、私は今でも水辺で立ち止まり、そんな水の中の小宇宙について想像を巡らすことがある。人が近付くと響く小さな水音。浮き草を揺らすかすかな動き。あの水の下には、いったい何がいるのだろうかと。

 涼感を得るだけなら公園の噴水付きの池で充分だが、そこには多様な生命の営みがない。単に人工的な器の中に水があるだけだ。それよりも、小さくても生き物がいそうな自然の水辺の方が良い。

 水が人々の心を癒すのは、それが生命を育む器だからかもしれない。我々人類が遠い昔にまだ微生物だった頃、そこで育ててもらったからかもしれない。





7月 7日(火) 「七夕の夜に」



 今日は七夕だが、私の故郷では旧暦で七夕を祝っていたので、7月に七夕と言われても、どうも今ひとつピンと来ない。

 七夕が8月だと夏休み真っ盛りなので、地区の子供たちで集まって短冊に願い事を書いて飾るなんて楽しい行事もあった。近所の子供たちでワイワイ言いながら、各人の願い事を書くのだが、みんなが見ている前なので、あまりカッコ悪い願い事とか、妙に都合のいい願い事は書けない。かくして、みんな当たり障りのないことを書いて笹竹に結ぶことになる。

 その後は、子供たちで夜空を見上げて天の川を探した。日頃は、夜に子供が集まって遊ぶなんてことは許されていなかったが、七夕は特別な日という感じだった。親も参加しての行事だったから、あんな計らいになっていたのだろう。8月の七夕だと梅雨は明けているので、たいてい天気は良かったように記憶している。かなりの確率で織姫と彦星は会えていたのではないか。

 翌朝になると、たくさんの願い事ときれいな飾りがついた笹竹を、みんなで郊外の川まで持って行き、橋の上から投げて流した。今ではゴミの投棄が厳しく取り締まられているから、もうこんなことは出来まい。しかし、夏の朝早く、町中の子供たちが集まって笹竹を持ち寄り川に流す光景は、夏休みの思い出の一つである。

 きれいな飾りのついた笹竹が、子供たちの手で次々に投げ入れられる。かなり高い橋の上から投げていたから、飾りをはためかせながらゆっくり笹竹が落ちていく。その様子をみんなで歓声を上げながら眺めた。たくさんの笹竹が川面に漂う様子は、橋の上から見るととてもきれいだった。笹竹はやがて流れに沿ってゆるゆると下っていく。我々は、それが遠く見えなくなるまで見送った。

 せっかく書いた願い事をどうして川に流すのか最初は分からなかったが、上級生が「この川はずっと下流で天の川につながっているから、織姫と彦星が願い事を読んでかなえてくれるんだ」と説明してくれた。その川の下流が海に注いでいることは知っていたが、何となく夢のある説明に妙に納得した記憶がある。

 もう今では願い事を短冊に書くようなことはないが、振り返ってみるととても楽しい行事だった。七夕と聞くとついついそんな夏休みのひとコマを思い出す。おそらく今後もずっと忘れることはないだろう。





7月 2日(木) 「自由」



 昔の画家は、特定のスポンサーに支えられていた。西洋で言えば、王や貴族であったり、教会であったり、あるいは商売が繁盛している商人ということだったかもしれない。日本だと大名家や豪商などが考えられる。いずれも、その時代にあって巨万の富を築いていた支配層の人々だ。

 彼らは画家をお抱えにして、自分のために絵を描かせた。注文生産のようなもので、そのパトロンのお気に入りの絵を描けなければ、画家は首になったことだろう。そして、完成した絵はパトロンのコレクションになり、彼らの家や別荘に飾られたり、恋人や友人・知人、あるいは自分の利害関係者への贈り物に使われたりした。一般の人々の目に、そうした作品が公開されることは、あまりなかったのではないか。

 今では、画家の生計は特定の人々に支えられているわけではない。もちろん、途上国に行けば、かつての西洋諸国のように特定の階層の人々によって画家が養われているところもあるだろう。だが、少なくとも先進国では、誰かが画家を抱えて自分のために絵を描かせているという状況にはない。

 画家の描いた絵は一応みんなのもので、誰かが買うこともあるが、有名な作品は美術館に納められて誰もが見られる状態に置かれることが多い。まぁこれも民主化の一種だろうし、画家にとっては自分の魂に忠実に作品を描けるという自由を得たことになろう。パトロンの気に入られなければ首ということは、今ではない。不本意ながら作品を制作し続けることもなかろう。

 しかし、よく考えると、万人を相手に絵を描き人気を博するというのは、なかなか容易なことではない。特定のパトロンならば好みを推し量ることもできるが、万人が相手となると、どんな絵がみんなに受け入れられるのか、なかなか推測が難しい。

 もちろん、画家が受け狙いで絵を描くなんてどこかおかしいが、世に自分の作品が受け入れられ、誰かが買ってくれなければ生計が成り立たない。「武士は食わねど高楊枝」は、若い頃には通用するにしても、家族を持てばそうもいくまい。いきおい、絵の売れ行きは画家にとっての重大関心事となろう。

 自分の描きたいものを描いて生計を立てるという現代の画家の立場は、パトロンに縛られていた昔の画家に比べてはるかに自由だが、確実に食っていけるあてがないという意味でどうにも不自由である。とても自由だってことは、すごく不自由なことでもあるんだということを痛感させられる。

 こんなことを言うと画家の皆さんに大変失礼だが、何だか飼い猫とノラ猫の関係に似ているところがあるなぁ。

「自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。」(サルトル)





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