パソコン絵画徒然草
== 6月に徒然なるまま考えたこと ==
6月28日(日) 「リハビリの日々」 |
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2週間に1枚くらい作品を仕上げていく習慣がすっかり身に付いた感がある。散策時に見つけた草花を、あれもこれも描いてみようかと思わないでもないが、焦らずぼちぼちと思い、自制している。また以前のようにペースを上げることもあるかもしれないが、当面は見合わせて、今のリズムを守ろうかと思う。 かくして描くペースは一応慣れてきたものの、描くスタイルというか道具立てというか、新しいPaint Shop Proには馴染めない部分もある。使い始めてから2ヶ月が経って、殆どのツールは把握したつもりだが、Corel社製になる前のバージョンとは、どこか勝手の違うところがあり、しっくり来ない。 タブレットとの連携やらレイヤーが増えたときの不具合やらでトラブルも幾つかあって、やはり新しいPaint Shop Proは写真のレタッチ用ソフトの色合いが濃いから仕方がないのかなと嘆息しながら使っている。自分の描き方とうまく合わずリズムの狂うところがあって、どうも前と同じようには描けないのである。 作品自体をご覧になると、いったいどこが違うのかと思われるかもしれないが、作者としては仕上がりに少々違和感を覚えたりもする。外観からは一見して分からぬところで、微妙な肌触りの差があるのである。靴の中に小さな石が入っていて、歩くたびに気になるような、そんな感じである。 このまま描き続ければやがて慣れて何でもなくなるのか、それとも相性の問題としていつまでも付きまとうのか、そこのところは分からないが、もう少し様子を見ながら慣らし運転をしていく必要がありそうだ。 そういえば、ゴルファーがクラブを替えるとショットに大いに影響が出る場合があるが、絵描きも道具を替えると同じことになるのだろうか。絵具と筆で描いていた頃は、最初に絵具を買ったら、そのシリーズで延々と補充していたから、ついぞ道具の影響なんて考えなかった。もちろん、キャンバスやら画紙やらは色々用途に応じて使い分けたから違いは分からなくはないが、絵具の方はメーカーごとでどうなんだろうか。 慣らし運転がいつまで続くのか分からないが、リハビリに励む人の気持ちが分かるなぁ。今まで普通に出来ていたことを再び取り戻そうと焦る日々。日頃気付かないような何気ないことも、なくしてから本当の価値が分かるものなのだ。 |
6月24日(水) 「菖蒲」 |
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梅雨に入り、菖蒲の花が見頃だという話題がテレビや新聞で報じられるようになり、夫婦でどこか菖蒲の名所に行こうという話になった。取りあえず堀切菖蒲園が候補として挙がったが、葛飾まで足を延ばすのはちと遠いので、行く直前になって明治神宮御苑に切り替えた。 明治神宮御苑は、本殿に通じる南参道の脇から入るのだが、周囲は鬱蒼たる森である。表参道の喧騒からは信じられないような環境で、脇道にそれると山の中を歩いているような気分になる。 ここの菖蒲園は、明治天皇が后であった昭憲皇太后のために造営を命じたもので、堀切菖蒲園をはじめ各所から様々な品種の株が集められたと伝わっている。元々明治神宮があった辺りは、虎退治の加藤清正で有名な加藤家の下屋敷があった場所で、加藤清正が掘ったとされる湧き水が、今でもこんこんと湧いている。この湧き水が池に流れ込む途中に、山間の棚田みたいに菖蒲園が細長く続いている。 菖蒲を見るのは晴れた日よりも曇り空の方がいいのだが、生憎見に行った日は快晴で、夏の陽射しの中を菖蒲園を回り、源泉である「清正の井」を見学した。強い陽にさらされ幾分元気のない菖蒲もあったが、多くの株は見事に咲きそろい、充分季節の花を堪能できた。 菖蒲と書くと、アヤメも花菖蒲も皆含まれることになるが、かきつばたも含めてこのアヤメの仲間は昔から日本画の題材としてもよく取り上げられている。堀切菖蒲園は江戸時代から庶民に親しまれていたようで、鈴木春信や歌川広重の浮世絵にも登場する。かきつばたを描いた有名な絵としては、尾形光琳が手がけたとされる国宝「燕子花図屏風」がある。美術の教科書にもたびたび登場し、誰でも一度は目にしたことがある傑作だ。 しかし、いざ描くとなると、菖蒲の仲間はどれもみな手ごわい。画面の中でバランスを取ろうとすると、一本の花では中々収まらない。花が横に大きく広がり、葉と茎が一直線に細長いので、頭でっかちになってしまうためだ。従って、何本かを画面に登場させ、葉を重ねて画面の下半分がスカスカにならないようにしないといけない。 「燕子花図屏風」は、このかきつばたの群生をリズミカルに配してうまくまとめている。しかも、びっしり描き込みすぎないよう空間を適度に空けて、日本画特有の「間」をしっかりと取っている。天才のわざを見せつけられるようで何とも心憎いのだが、同じ事をしてみよと言われても、うまく真似が出来ない。そもそもこんな風に群生を描くとしたら、作品を完成させるのに途方もなく時間がかかることだろう。 たくさん、きれいな菖蒲を見させてもらったから、私も一枚ものにしてみようと思うのだが、群生を描くのは素人の私にはしんどいので、一つ二つ花を選んで描いてみようと構図を練っている。頭でっかちの花ゆえバランスを取るのが難しいが、時間のない人には一つの花でも充分手間がかかる。最近のペースでは、描いているうちに季節が過ぎてしまいそうだが、気にすることはない。雨の日の菖蒲を想像しながら筆をぼちぼち進めようと考えている。 |
6月18日(木) 「入梅」 |
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どうも天気のスッキリしない日が続くと思っていたら、東京もついに梅雨入りである。5月末から6月の頭にかけて、比較的気温低めでさわやかな天候が続いたのでしのぎやすかったが、これからジワジワと湿度が上がるのだろう。汗かきの私としては嫌な季節の到来である。 人間様にとっては嫌われる梅雨だが、自然界にとっては重要な季節で、ここで雨が降らないと何かと困ったことになる。緑の濃さが一段と増し、植物の成長著しいのがこの時期である。夏に向けての助走ということだろうか。 梅雨の風物詩といえば、アジサイや菖蒲、ホタルブクロなど。植物に詳しくない私の発想はそんなところだが、挙げた植物はいずれも、晴天には冴えないものばかりである。曇天でパラパラと雨が降り始めたシーンなどによく映える。アジサイの上にカタツムリが這う横を子供が傘を差して歩くイラストが、6月のカレンダーの挿絵の定番だろう。 もう一つ、この季節に私が好きな風景がある。雨上がりの山々に雲が低く垂れ込めるシーンである。水墨画の世界を見るようで、幽玄の極みだと思う。山間に行けばこの季節に幾らでも見られる景色だが、残念ながら東京暮らしの身には縁遠い。雨の中をそんな情景を見るために遠出するのも気が引けるし、幻想的な世界を想像しながら絵に描いて楽しむのが関の山だろう。 梅雨の幻想的な風物詩としてもう一つ代表格を挙げるなら、ホタルがある。今ではめったに見られないが、誰でも興味を惹かれる存在だろう。川岸でほのかに光りながら舞う姿は幻想的で、実際にホタル狩りをしたことのない人でも、その名を聞いただけで郷愁を誘われるのでないか。その命が実にはかないことも、日本人の心情に訴えかけるものがある。まず見かけることのない珍しい昆虫なのに、こんなに多くの人に愛されているというのも不思議なものである。 陰鬱な季節なのに、数え始めると幾つも魅力的な題材を思い付く。戸外へ行くのが億劫な雨がちの気候だが、絵の題材には困らない季節ということかもしれない。 |
6月14日(日) 「ローギアで走る」 |
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目下のところ、新しいバージョンのPaint Shop Proに慣れるため、絵を描くスピードを遅くして、2週間に1枚くらいのペースで仕上げている。お蔭で今週末も作品更新はお休みである。「次作は来週更新、乞うご期待」と言うことになろうか。これでも一般的な絵画系サイトに比べれば、作品更新の速度は速い方かもしれない。 自分なりにスピードを落としてみて思うのは、確かに描く方は楽になったが、作品の対象物、あるいは自分なりのイメージに対して、ある種のもどかしさを感じる場面が多々あることである。「焦るばかりではかどらない」とでも言えばいいのだろうか。子供がすごいものを見つけて親や友達に報告するとき、感動が勝って喋るのがもどかしいような状態になる。あれにどこか似た気持ちになるのだ。 何か絵の題材になるものを見つけて描いてみようと思い立つと、制作する側としては、その情熱が冷めぬうちに作品を仕上げてしまいたくなる。題材に出会ったとき、あるいはイメージを思い立った時が感動の頂点であり、時の経過と共にそのボルテージは下がっていく。完全に感動が消えうせることはないにせよ、最高潮の状態を長く持続するのは不可能であり、それが薄れてしまってから描いたのでは、作品に対するエネルギーが弱くなる。それでは困るから、描く速度が速まる。焦りが筆を速め、かくして私は速筆になった。 高い水準の感動を長く持続させるにはどうすればいいのか。私には何とも思いつかぬのだが、大きな作品を仕上げるプロの画家は、自作への情熱を失わずに一つの作品にじっくり時間をかける。大作になれば数ヶ月、あるいは数年ということもあると聞く。その期間、感動を持続させ制作のエネルギーを維持するのも、プロの仕事のうちということだろうか。 プロの画家というのは、ある種のスタミナを持っていると思う。粘り強く一つの作品に取り組むためには、体力も精神力もいる。それを育む術を私は知らぬが、長く絵の世界でメシを食っていけば、そんなスタミナも自然と身に付くのだろうか。あるいは、プロというのは当初から心構えが違うのだろうか。 片手間で絵を描くアマチュアには、とんと真似の出来ぬワザだが、まぁスピードを緩めた分、私も情熱を持続させるコツを学ばねばならないのかもしれない。今の状況で速く描くのは難儀だが、さりとてゆっくり描けば万事うまくいくというわけでもない。「あちらを立てればこちらが立たず」は世の常だが、趣味の世界でも同じような問題があるのだなぁと思う。 「芸術は悲しみと苦しみから生まれる。」(パブロ・ピカソ) |
6月10日(水) 「ひとつの時代」 |
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もう1ヶ月以上も前の話だが、ミュージシャンの忌野清志郎が亡くなった。そんな話題を切り出すと、あたかも彼のファンだったかのようだが、実はさほど彼の曲を知らない。忌野清志郎やRCサクセションの音楽活動は何となく知っているし、代表曲の「ぼくの好きな先生」「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」くらいは聞いたことがある。しかし、それ以上は知らないし、アルバムも買ったり借りたりしたことがない。 そんなミュージシャンの話を何故始めたかというと、忌野清志郎が亡くなったというニュースを聞いて、あの頃の時代というものを思い出したからである。あの昭和の時代に忌野清志郎は規格外の存在で、何かと目立ってとがっていた。彼が持つ独特のスタイルや歌はカッコよかったし、世の中の常識というものに素直に従って生きられない若い世代の注目を浴びていた。もちろん、そんな彼や彼を信奉する若者たちは、当時の良識派の親からは白い目で見られていただろう。 例えば「トランジスタ・ラジオ」の歌詞は、そのままはみ出し高校生の日常生活を切り取ったものだ。親の世代からしてみれば、この歌詞にあるように、自分の息子が高校の授業をさぼって校舎の屋上でタバコを吸って音楽を聴いているなんて、とんでもないことだったろう。「ぼくの好きな先生」に歌われている学校の先生は、忌野清志郎のお気に入りだったのかもしれないが、親たちにとってはダメ教師とうつったことだろう。 けれど、それもこれも今となってみれば、実にソフトな世界なのである。あの頃だから目立ったが、今だったら埋もれてしまうだろう。それくらい時代は変わったということかもしれないし、色々なことが許される時代になったということかもしれない。忌野清志郎が歌った情景は、現代ではみんなから注目されるほどカッコいいわけではないし、親たちにしたって、それくらいならと見て見ぬふりをする可能性すらある。 時代は変わり、何もかもが過激でなければ目立たなくなった。極端でなければ注目されなくなった。今の時代は刺激に満ち過ぎていて、面白い反面、どこか疲れるようにもなった。そう思うのは、私が古い世代だということだろうか。 忌野清志郎が目立った時代というのは、ある意味いい時代だったのかもしれない。そして、彼が亡くなり、あるいは彼と同世代のミュージシャンたちが活動を休止していくにつれて、そんな時代がドンドン過去のものになっている。彼の歌を今の若い世代が聞けば「何だこりゃ」と思うのだろう。誰でもこんなことやってるよと。 あの時代にカッコよかったことが、今では何でもないことになり、先頭を走っていた者は、いつしかビリになった。あぁ、こんな歌詞も一世を風靡した曲にあったな。今では誰も知らないだろうが・・・。 |
6月 2日(火) 「取りあえずの船出」 |
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季節は6月となった。春は終わり、初夏の始まりである。ここ2〜3日、気温は幾分低めだが、衣更えの季節となり半袖が目立つようになった。そのうち陽射しは夏のように強くなり、湿度も上昇し、動けば汗ばむようになるだろう。気持ちよく戸外を歩ける季節は去った。秋風が吹くまでは、心地よい散策は暫しお預けだろう。 さて、5月はセキュリティーソフトの更新に端を発したPaint Shop Pro障害騒動で明け暮れた。ここ数年、何の変化もなく淡々と来た休日画廊にとって、思ってもみなかった大災厄だった。けれど、遅かれ早かれこういう事態はやってきたのだと思う。 パソコンの性能は日進月歩で向上し、OSも進化する。それに合わせて各種のアプリケーション・ソフトはバージョンアップし、環境変化に対応していく。バージョンアップもせずに古いソフトを使い続けるのは、どこかしら無理があるのだ。今回のようにセキュリティーソフトが邪魔しなくても、次期OSであるWindows7では動かなかったのかもしれない。 Paint Shop Proが起動しなくなったのはショックだったが、問題を解決するためにセキュリティーソフトをアンインストールしなかったのは、結局早晩来る運命からは、どうあがいても抜け出せないだろうと悟ったからだ。 それで、その後の対応だが、結局色々苦しみながら新たな道を模索し、Paint Shop Proをバージョンアップした。今使っているのは、「Paint Shop Pro X2」という製品である。さすがに最新ソフトだけあってセキュリティーソフトとの相性問題は生じない。 前にも書いたが、Paint Shop Proという描画ソフトは、元々プロのイラストレーターの方々が使っているAdobe社のPhotoShopという業界標準ソフトの廉価版的位置付けの製品として登場した。PhotoShop自体が10万円程度と高価なので、アマチュア向けに類似の機能を持った安いソフトを売り出せばヒットするだろうというのが、開発したメーカーの思惑だったようだ。 けれど所詮は二番煎じ。思うように売れなかったのか、ソフトごとCorel社に売られた。不幸なことに、Corel社は描画専用のソフト「Painter」を持っていて、そちらの方が高級ソフトだった。同じ路線のソフトを二つ持っていても仕方ないので、Paint Shop Proは写真のレタッチに重きを置いたソフトに組み直された。それがPaint Shop ProのXシリーズである。 従って、Paint Shop Pro X2の機能は写真のレタッチにかなり寄っている。ただ、描画機能がないわけではなく、以前のPaint Shop Proに似た機能は備わっている。私はCorel社のサイトから体験版をダウンロードして試しに絵を描いてみて、まぁこれなら何とかなるのではないかと思って、製品版を購入した。とにかく、のっぺらぼうの画面が出て来るかつてのPaint Shop Proを使うのは、手間がかかり過ぎてしんどかったので、苦肉の策に出たというわけである。 使い勝手の点を言えば、かつてのPaint Shop Proの方が私は好きだが、それは余りに長く使っていて、手に馴染んでいたからかもしれない。今やX2に慣れるしかないと思い、時々戸惑いながらも使っている。以前よく使っていた機能の中で、Xシリーズになってからなくなってしまったものもあるが、それは描き方を工夫して埋め合わせていくしかあるまい。 そんなわけで、かつての制作スピードは取り戻せないままだが、何とか新しい船出を果たしたことになる。ぼちぼちと焦らず取り組み、自分なりに無理のない制作手順とペースをつかむこと。まずはそれを目標に、一歩ずつ歩いていきたいと思う。 |
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