パソコン絵画徒然草
== 5月に徒然なるまま考えたこと ==
5月27日(水) 「練馬区のもう一つの顔」 |
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前回、近郊農業地帯として歩んだ練馬区の歴史にちなんで駄文を書いたが、練馬にはもう一つの意外な顔がある。いわゆる漫画やアニメ文化の発信地だったという歴史である。これもまた絵に関する話なので、ちょっと触れておこう。 日本初のカラー長編アニメは「白蛇伝」という映画で、東映が1958年に公開しているが、これが製作されたのが大泉にあった東映動画スタジオだと聞く。その後、東映動画に関わっていた漫画家の手塚治虫が虫プロを設立し、「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などのテレビアニメを製作するが、これもまた練馬にあった。 そんな縁もあり、また下請けが必要だったという事情もあり、たくさんのアニメスタジオが練馬に作られ、みんなが知っている有名なテレビアニメやアニメ映画が練馬の地で製作された。そしてそこから、たくさんのアニメーターが巣立っていった。ちなみに、スタジオジブリの宮ア駿監督や高畑勲氏も東映動画の出身であり、松本零士原作のアニメ「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」の監督を務めたりんたろう氏も東映動画の初代メンバーである。 漫画の分野では、上に述べた松本零士氏が練馬在住である。元々漫画ということではお隣の豊島区が有名で、漫画雑誌の出版社が、連載を持つ漫画家に住まいとして豊島区のアパートを世話していたため、必然的に豊島区住まいの漫画家が増えたという事情がある。ただ、この漫画家の梁山泊と化していた「トキワ荘」というアパートも、みんながずっとそこに居ついたわけではなく、地方から出て来て東京暮らしの最初の一歩として間借りしていたケースが大半だったようだ。そんなわけで、トキワ荘から漫画家は流出し、お隣の練馬区に居を構えた例もあると聞く。 練馬区在住ないし一時的に住んでいた漫画家としては、上の松本零士氏のほか、石ノ森章太郎、ちばてつや、高橋留美子、弘兼憲史などがいる。豊島区にせよ練馬区にせよ、アニメや漫画の発祥地としての知名度に加え、出版社や印刷工場が集まる文京区に近いということや、物価が安く暮らしやすいといった事情もあって、漫画家が多く集まったのかもしれない。 手塚治虫やちばてつや、石ノ森章太郎、松本零士といった作家の漫画は、子供の頃にたくさん読んだ。ストーリーもさることながら、描かれた絵からも多くの刺激を受けたことは事実である。 私は日本画を描いていたせいか、面で塗るよりも描線を大事にする方だが、もしかしたら、その淵源は漫画にあるのかもしれないなと思う。ペンで描かれたシャープな線画は、鉛筆では決して真似の出来ないもので、太い線と細い線での描き分け、線で構成する質感の表し方など、プロの仕事に随分感服していた覚えがある。他の人がストーリー重視で漫画を読んでいたのと違って、私はストーリーよりも絵を見ていた時間の方が長かった気がする。 あの頃読んでいた漫画が当時まさに描かれていた地に、後年住むことになろうとは思ってもみなかった。どんな人たちがどんなふうに描いているのだろうと想像したことがあったが、豊島区や練馬区はおろか、東京にすら行ったことのなかった私には、何ともイメージが湧かなかった。 そんな地に越してきたものの、さっぱり漫画を読まなくなった自分には、アニメや漫画の聖地と言われても、今や感激するほどのことはない。ただまぁ何となく、あの頃の漫画を思い出しつつ、こんなに遠くまではるばるやって来たものだと感慨にふける程度である。 |
5月21日(木) 「時代」 |
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練馬区に越してきて、かれこれ5年以上になる。それまでは、渋谷区、港区、文京区と都心部で生活していたから、ポツポツと畑の残っている練馬区の印象は、静かな典型的住宅街というものだった。あまり高い建物もないし、道行く車の数も多くはない。 そんな郊外の典型的住宅地でも、5年も経てば色々な変化がある。一番目に付くのは新しい住宅の建設で、不景気の中でも新築住宅の売り出し広告は至るところで目にする。次から次へと建ててよく売れるもんだなと感心するが、いつのまにか新しい住人が入居しているから不思議だ。 住宅が建つのは、古い住宅を取り壊してというケースもあるが、多くは駐車場や畑を潰して、何戸かのまとまった新築住宅群が建てられる。そのたびに空き地は減り、圧迫感が増す。他人様の土地のことゆえ文句を言える筋合いではないが、個人的には残念な気持ちがする。我が家のある一角が新たな戸建住宅群になったときも、同じ思いを抱いた近隣住民の方がいたろうから、お互い様かもしれないが・・・。 練馬で暮らし始めていいなぁと思ったのは、道を歩いていて至るところに駐車場や畑があるものだから、空が広く、全体的に街が明るいことだ。夜道を歩いていて月の存在に気づくのも、そうした空き地の脇に出たときである。本当の都心部ではこうはいかない。 練馬区の歴史は古墳時代まで遡るようで、その後、お隣の区名の由来にもなっている豊島氏という豪族の支配下に移り、豊島氏を滅ぼした太田道灌が後を受け継ぐ。江戸時代にはほとんどが天領となり農業地帯として栄えたと伝わる。もっとも、水利の悪い土地柄ゆえ畑作中心で、練馬大根で有名な野菜供給地として江戸の人々の胃袋を潤したようだ。 明治になってもその位置付けは変わらず、大正になると、練馬から都心部に野菜を輸送し、都心部から練馬に人肥を運ぶ鉄道が出来た。東上鉄道(東武東上線)や武蔵野鉄道(西武池袋線)がそれであり、今とは違って貨物輸送線として活躍したと聞く。 そうした近郊農業地帯としての性格が徐々に変わり始めたのは関東大震災がきっかけのようで、次第に畑が工場や住宅に姿を変えていったという。歴史は農業中心から工業中心へと移っていったし、東京の人口も増えて住宅が足りなくなっていたから、変化は避けがたいものだったのだろう。 今に至っても変化のベクトルは変わらず、畑は相続のたびに駐車場や住宅に変わっていく。このままいくと、遠からず練馬区から畑はほぼ姿を消すのかもしれない。地価や需要を考えれば、23区内の農業自体が、土地の利用方法として効率が悪いのだから仕方なかろうが、元近郊農業地帯としての面影が薄れていくのは、古くから住む人々にとって寂しいものだろう。 新参者の私としては、昔の練馬を知っているわけでもないのでそうした感慨は湧いてこないものの、空の広さが失われていくことには一抹の寂しさを感じる。仕事からの帰り道に畑の脇に立ち、夜空を見上げるのはちょっとした楽しみである。春や秋の名月。冬のオリオン座。秋の夕暮れや、冬の朝の透き通ったような空気感。そこから構想を得た作品も多い。画題のネタが少しずつ減っていくのは寂しいが、それも時代の変化ということかもしれない。 |
5月17日(日) 「やはりもどかしい絵画制作」 |
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今週は、作品更新はお休みにした。バラの絵を描き始めたのだが、慣れぬ手順に何かと手間取り、完成に至らなかった。失ったものはやはり大きかったなと実感する。 何といっても、描くスピードが一気に鈍り、万事ゆっくりとやるようになった。何をするにつけもどかしく感じるが、焦らないよう自分に言い聞かせながら描いている。パソコン絵画というのは、道具に依存する部分が多いのだなと改めて思う。最初に出会い手に馴染んだツールが持つ影響力というのは絶大なものがある。今まであまり感じていなかったが、ソフト選びの点からは重要なポイントかもしれない。 ゴールデンウィーク時にはたっぷり時間があったので、制作時間の確保は比較的容易だったが、仕事が始まってみるとそうはいかない。この調子だと2週間に1枚、ヘタすれば1ヶ月に1枚くらいのスピードだろうか。急行から鈍行に乗り換えたようなものだ。 そもそも毎週のように作品を更新していた今までのペースが、他の人と比較すれば頻繁すぎたのかもしれない。絵具と筆の時代でも絵を描くのは速い方だったが、手軽に描けるパソコン絵画に切り替えて、一層速描きになった。調子に乗って1週間に1枚みたいなペースで描いていたが、考えてみればアマチュアにしては無茶なスピードだった。今後は、他の絵画系サイトと同じようなテンポで更新していくと思えばよいということか。 楽しみでやっていることなのだから、何も無理をすることはない。制作環境が変わったのなら、それに合わせて自分のやり方も変えるしかない。そんな形でこれまでもやってきたし、これからもやっていくしかないのだろう。 今は色々愚痴を並べているが、ある程度の期間が過ぎれば、新たなやり方がごく当たり前のように感じられて、そのリズムに慣れてしまう気もする。そうなれば、以前は何故あんなに作品を描き急いでいたのかと自問するようになるのかもしれない。世の中の様々なことだって、ある時に苦しいと感じたことが、時が過ぎれば笑い話になるのはよくあることだ。 まぁ制作途上にあるから、来週末くらいにはアップできると思う。いや、そんなふうに我が身に義務付けるのはやめよう。マイペースでやって、完成したら掲載する。それで充分なはずだ。焦りは自分の首を絞めるだけで、何一ついいことはない。商売じゃあないのだから、締切りがあるわけでもないし。 まぁそんなこんなで、各駅停車ののんびりしたスピードであっても、何とかサイト運営は続けていけそうな気がしてきた。新装開店とは決して言えない新たな運営方針だが、事情お察しのうえ、今後ともご愛顧のほど宜しくお願いします。 |
5月13日(水) 「暫しPaint Shop Proを忘れて」 |
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一連のPaint Shop Pro騒動で、何だかパソコン絵画制作にまつわる愚痴一色みたいな流れになってしまった。そんな話題ばかりでは読む人は面白くなかろうし、私にとっても本意ではない。遅ればせながらゴールデンウィークの話題でも書こうと思う。 Paint Shop Pro騒動が起きる前に、家族で横浜まで出掛けた。今まで何度か出掛けたことがあるが、たいていは山手や中華街、あるいは元町の商店街といった辺りをうろうろしていた。今回は趣向を変えて港に近い方と思い、赤レンガ倉庫まで足を伸ばした。 ちょうど横浜は開港150周年ということで大々的に「横浜開港博」をやっている。お蔭でどこに行ってもすごい人で、馬車道駅から赤レンガ倉庫まで満員電車の中を移動しているような騒ぎだった。行きの電車では、たくさんの人がみなとみらい駅で降りたので、ホントはもう少し空いていることを期待していたのだが。 赤レンガ倉庫は、明治時代に建てられた倉庫群の一部を、外観の面影を残しながら商業施設に改装したもので、完全な観光スポットである。ただ、威風堂々と建つ姿は印象的で、絵になる。また建物の中も、所々に残る頑丈な柱や扉がアクセントになって、新旧入り混じった不思議な雰囲気を醸し出していた。すぐ近くの「みなとみらい21」に建つ最先端のビル群もシャープな印象で人目を引くが、味わいという点では赤レンガ倉庫の方が上のように思う。 赤レンガ倉庫が保存され観光名所になったのは、横浜開港と共に歩んだその歴史もさることながら、本格的なレンガ造りの建物が日本にあまり残っていないからだろう。西洋でレンガ造りの建物が主力だった時代に日本は鎖国をしていたため、レンガ造りの建築様式はあまり広まらなかったのだと思う。レンガ造りにすれば頑丈だが、建築に手間がかかる。鉄骨で建物の基礎を作るようになれば、レンガがマイナーな存在になるのは必定だったのかもしれない。 それでも欧米にはレンガ造りの建物が多く残っているから、今でも西洋画にはその種の堂々とした建築物が登場する。鉄筋コンクリートの方が高性能なのかもしれないが、味わいは赤レンガに劣る。一つ一つ職人が焼いたレンガの積み重なりが、人の息遣いを伝えてくれるからかもしれない。 今でも装飾性を重視してレンガ造りの建物が建てられることがあるが、きれいに形のそろったレンガが整然と組み合わせられているのが現代風のようだ。そのレンガは大規模に工場で作られたものなのだろう。大きさも色も均一で、まるで機械で測ったように正確に並び、すきがない。ただその分、ふぞろいで色も様々なレンガが積み重ねられた昔のレンガ造りの建物に比べて味わいがない。 赤レンガ倉庫が良かったのは、昔風の味わいのあるレンガ造りだったからだ。こんなレンガ造りの建物は、今では手間がかかり過ぎて建てられないのだろう。 進歩というのは一から十までいい事づくめではない。それは、機械がいつまで経っても人の手の温もりにはかなわないのと似ている。正確さと機能の高さが売りの近代技術が、昔のふぞろいな手作りのものにかなわないというのは、どこか不可思議だが、同時に何かしらホッとする部分があるのも事実である。 |
5月10日(日) 「どこへゆくのか」 |
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今週、休みの日も多かったので、クラッシュした描画ソフト「Paint Shop Pro」を使って、試行錯誤しながら取りあえず一枚絵を描いた。正直なところ、途方もない労力に打ちのめされて、これじゃあやっていけないと実感した。そして、この「休日画廊」の今後の活動についても色々考えた。いや、考えさせられたと言った方がいいかもしれない。 わずかこんなトラブルで、自分なりに楽しみでやってきた趣味の世界が立ち行かなくなることの虚しさや、長い間続けて来たサイトの活動が停滞してしまうことへの戸惑いについても思いをめぐらせた。 Paint Shop Proのような廉価版のソフトを使ってきたことについて、今まで何の迷いもなかったし、むしろ私のようなアマチュアが趣味でやるなら、これくらいで充分だと納得していた。しかし今にして思えば、こんなに長く趣味としてやるなら、高くても業界標準である「PhotoShopCS」のようなしっかりした描画ソフトを選んでおけばよかったと、少々後悔している。 今さら新しい廉価版ソフトに乗り換える気はない。開発元より売りに出されてソフトの性格が変わったしまったPaint Shop Proの現状を見るにつけ、廉価版ソフトのたどる運命のようなものを垣間見てしまったからだ。いずれの廉価版ソフトも商業主義の下では、長くは生き延びられないということだろう。売れなくなれば開発終了になるか、他のソフトメーカーに売られて別の性格のソフトに衣替えとなる。今はCorel社が買い取っているが、Paint Shop Proだって、この先何年存在するのか保証の限りではない。廉価版ソフトでもそうなのだから、無料ソフトなら尚更だ。 それにしても、長く手に馴染んだ道具というのは、失って初めてその価値が分かる。私にとってPaint Shop Proは、乗り換えるにはあまりにも長く使い過ぎたソフトだ。それゆえ、他の廉価版グラフィックス・ソフトを買って、イチから操作方法を覚え、慣れぬ手つきで絵を描き出す気にはなれない。いっそ腰を据えて最初から取り組むならPhotoShopCSだろうなぁと思うが、さすがにこの期に及んで10万円以上を投下するのには躊躇せざるを得ない。 そんなわけで袋小路にはまり込み、今のところ解決策を見出せないままでいる。本当は暫く筆を折って今後のサイトの運営方針を色々考えてみたいところだが、ネットの世界で更新が止まるということはサイトの閉鎖を意味する。それに季節の移り変わりに合わせて、描きたいものも生まれてくる気がする。だから亀の歩みのようにのろくても、少しずつは更新した方がいいと今のところは考えている。もちろん、このまま不完全なPaint Shop Proを使って途方もない努力を続けていけるのか自信はないが、まずは焦らずマイペースで一歩ずつ進もう。それが「休日画廊」のモットーだったはずだから。 「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」(「長いお別れ」レイモンド・チャンドラー) |
5月 5日(火) 「少々深刻な事態」 |
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実は昨日から「休日画廊」始まって以来の深刻なトラブルに見舞われている。いや、いつかこんな日が来ることを、私は薄々感じていたのかもしれない。 ちょうど我が家のセキュリティーソフトである「Norton360」の更新期限が来たので、今年発売になったバージョン3.0に乗り換えた。ネットで特段トラブル情報もなかったし、むしろ好意的な評価が多かったので、何の警戒感もなくインストールした。その結果、私がパソコンで絵を描くのに使っている「Paint Shop Pro」が起動しなくなった。 慌ててNortonに連絡を入れて、丸一日費やして修復をした。担当者はハッキリとは言わなかったが、Norton360の3.0バージョンはPaint Shop Proの起動に干渉し、ソフトを動かなくしてしまうようだ。Nortonの側でPaint Shop Pro用の修復ソフトを用意しており、これをインストールしてようやくPaint Shop Proが起動した。 が、挙動がおかしい。ツールパレットの類が全く表示されないのっぺらぼうの状態でPaint Shop Proが立ち上がる。しかも、従来のツール群の配置をPaint Shop Pro所定の様式で保存してあるのだが、このファイルが読み込めずにエラーが出てPaint Shop Proがクラッシュする。仕方ないので30分以上かけてツール群を構成し直して、それを所定のファイルに保存した。しかし、これを何度呼び出しても同じことの繰り返しで埒が明かない。 私の場合、Paint Shop Proで絵を描くのに数々のツールが必要で、いちいち探していられないので画面にパレットを配置してショートカットアイコンを並べていた。これが起動のたびに全て無効になり、イチからツール発掘をする必要がある。この作業に軽く30分近くかかる。とてもじゃないが、起動するたびにこんなことしていられない。 パソコンで絵を描く人でPaint Shop Proを使っているのは、かなり少数派の部類だろう。そんなマイナーなソフトゆえ、Norton360でトラブルが生じても、世間的には何の問題もないと思うし、Norton社も気にしなかったのかもしれない。しかも私のPaint Shop Proはバージョン9.1と相当古いもので、既に販売メーカーのサポートは終わっている。化石状態のソフトゆえ、OSや各種の環境変化の影響でいつか動かなくなる日が来るだろうとは思っていた。 Norton360でなくても、この秋から年明けにもリリースされる新しいOS「Windows7」で同じ事が起きるのかもしれない。それはしょせん時間の問題で、古いソフトを使い続ければ出くわす当然の運命なのだろう。それが少し早まっただけと思えば、それほどNortonを恨む気にもなれない。Nortonをやめて他社のセキュリティーソフトに乗り換えたからといって問題が解決する保証もないから、あてのない賭けに出る気も起きなかった。 しかし、いくら運命とはいえ、いざ目の前で事が起こってみると、改めて深刻な事態だと実感させられる。とても絵なんか描いてられる状態じゃあない。ソフトがうまく動かなければ、短い自由時間の中で作品は仕上げられない。筆と絵具で普通に絵を描く時間がないから、気軽に出来るパソコン絵画に転向したというのに、毎回ソフトウェアのセッティングからスタートするなんて、とても無理な相談だ。 さてどうしたもんかと途方に暮れつつ、でも更新をやめてサイトを閉じるのも気が引けるので、何とかあがいてみようと努力はした。丸一日かけて何度もPaint Shop Proのアンインストールとインストールを繰り返し、パッチの張り直しなどあらゆる手段を講じた。だが結果は同じ。これですっかり疲れてしまい、絵を描く意欲も一気になくなった。 もう今までのような更新ペースはとても無理だろう。サイトって、こんなふうにして終わっていくものなのだろうか・・・。 |
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