パソコン絵画徒然草

== 奈良散歩記 ==






奈良散歩記を振り返って





 年初以来、ずっと奈良散歩記を掲載して来たが、改めて振り返ってみると、随分と色々なところに行ったものだと我ながら感心する。東京から行ったのでは到底足を運ばないだろうと思われるところまで含めて、奈良盆地のあちこち、はたまたその奥の山に分け入るところまで、縦横無尽に歩き回った。

 何故、奈良に足しげく通ったのだろうか。人が少なく散歩に適した静かな道路が多いというのが一番の理由だろう。同じ古都でも京都は、碁盤の目状の道路ゆえにそこらじゅうに信号があり、長く歩き続けるのは無理である。おまけに外人さんも含めて観光客は多いし、バス、タクシーなど車の交通量も格段に激しい。

 ただ、奈良に惹きつけられたのは、それだけの理由ではない。奈良には大和朝廷が作った公式の歴史以前に遡る様々な痕跡がある。伝説上の初代天皇である神武天皇が大和の地に来る前から、この地に暮らした地元豪族の歴史があり、古事記や日本書紀など公式の史書では隠され誤魔化され、曖昧に記述されている過去の物語の断片が、奈良のそこここにひっそりと遺されている。

 大和朝廷にとってその起源すら分からぬ古い神社、古くから住み着く地元豪族の言い伝え、誰のものとも分からぬ古墳群、由来のハッキリしない奇石、そんな遠い過去の記憶が奈良の地には今なお遺っている。古い神社は適当な由来を付けて大和朝廷の流れに組み込まれ、服従させられた豪族たちの歴史は都合の良いように改竄され、目立たぬように官製の歴史書に編み込まれているが、奈良の地に伝わる史跡や伝説には、本当の歴史の断片が僅かながら顔を覗かせているような気になる。

 奈良を歩いていると、そんな忘れられた魂がそっと語りかけて来るような気分になるのだ。ガイドブックでは「古代ロマン」などという甘い言葉でその風情が紹介されるが、歴史から消されていった者の声にならぬ語りは、実に奥深く重いものである。

 私はのどかな野辺の道を歩きながら、ガイドブックに掲載されている不思議な言い伝えを思い返し、その意味をあれこれ推察した。また、朽ちて半分が農地になった古い古墳や土蜘蛛の塚などを眺めながら、歴史に名を残すことなく消えて行った人々のことを思った。奈良の散歩の魅力というのは、まぁそういった、今さら知ることの出来ない歴史に思いを馳せながら、それらの人々が歩いたかもしれない跡をたどる魅力である。

 日本人のふるさとというのがどの辺りにあるのかは人ぞれぞれ意見が異なろうが、その一片は間違いなく、あの奈良の土に埋もれた辺りにあるのだろう。







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